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他人を無力認定しない ~小田桐あさぎさんの神回答~

小田桐あさぎさんの魅力覚醒講座19期のとき、自閉スペクトラム症で不登校の娘のことを無力認定して心配ばかりしていたなぁと思う。

社会に馴染みにくい娘をかわいそうだと思って、こんなことでは将来がどうなるのだろうと不安でたまらなかった。

それは結局「私が自分のことすら信頼してなかった」ということ。

「自分の人生は今この瞬間から選んでいける」とは到底思えてなかった。

人生のかじ取りは自分ができるのだと思えてなかったし、
主体的に生きれてなかったように思う。

だから、娘のことも信頼できず、
「娘は娘の人生を切り開いていく力がある」とは思えず、
心配ばかりしていたのだろう。

娘に「弱いもの」レッテルを貼って。

この子は「私がサポートしてないとダメなんだ」と決めつけて。

子どもを信頼できない母親だった。

魅力覚醒講座20期のChapter9のQ&Aを聞いて、改めて「他人を信頼する」の意味を考えた。

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講座生の質問:
義理の妹(弟の妻)が私の母を弟にわからないように15年来いじめている。
私が過去に弟にそのことを話したことがあるが、逆にいじめがエスカレートした過去から、私も周りも何も言えなくなっている。
弟は義理の妹を妄信している。
母は苦しいと言いながら、弟に苦労をかけたくないと耐えている。

義理の妹が自分を守るためなら周りや弟を欺き、母をいじめ続けるのが許せない。
母の苦しみを見ていられない。
人は変えられない。
自分が変わるしかない。
母へのいじめをなくしたい。
弟に現状をわかってほしい。
どうしたらいい?


小田桐あさぎさんの回答:
考えないことだよ、何も。

人のことで悩むって自分を生きていないの。

「自分の人生を幸せにすることだけ」を考えるのよ。

「誰かを幸せにする」んじゃなくて。

大体、自分と向き合いたくない人が自分の周りの人のことで悩むのよ。

「自分の親が」とか「自分の子どもが」とか「自分の夫が」とかね。

悩む人って大体「自分の問題から目を逸らしている人」なのね。

他の人のことで悩むことで、いいことしてる気分になってるというか。

だから、お母さんとも弟とも距離を取る。

これしかないと思うんだよね。

で、自分は勝手に幸せに生きる。

だって人のことなんだから。

お母さんだって苦しいと言ってるのに「弟に苦労かけたくない」と耐えてるんだから、苦しさよりも弟への愛、弟に苦労かけたくないが勝ってる訳よ。

だからそのまま耐えてるわけ。

つまり幸せなのよ。

自分で選んでるのよ。幸せな方を。

優先順位、心と頭というか。

幸せな方を選んでるんだから、お母さんは幸せなのよ。

全員自分はこっちを選んだ方がもっと幸せになれるだろうという方を選択してるの。

それを信じることが信頼。

お母さんは可哀そうじゃなく、自らその状況を選んでるの。

ほんとに嫌だったら、言い返すなり、家を出るなり何かしらすればいいのに、それをしてないのは、いい大人がよ、自分の住む家を変えたりすればいいじゃん。

でもそれをしないで、「私は可哀そうで何もできないんです」って言ってるっていうのは、それって無力認定なのよ。

自分のお母さんに対して無力認定してるのよ。

「お母さん、かわいそう」

人に対してかわいそうと思うってことは、その人を無力認定してるということなのよ。

その人が「自分の力でどんな人生でも選んでいける」ということを信じ切れてないわけ。

自分にもそう思えてないし、他人にもそう思えてないから、人のことをかわいそう認定したり、心配したり、何かをしてあげなきゃという気持ちになるのよ。

自分が好きで選んでるし、どんな人生だって誰もが自分が選んだ瞬間から変えていけるという前提に立てば、何もできることなんてないわけよ。他人にね。

母であっても家族であっても他人だから。

だから私は子どもがどんな状況であっても、信じてるから何も心配してないのよ。

何をしようが。何も。

無力認定することで相手の力をどんどん奪っていく。

「やっぱり私って無力なんだ」って。

相手に「あなたは何もできない人ですよ」レッテルを貼り続けているのと一緒なのよ。

人のことを心配するってのはね。

だから、何にもしない。

お母さんは幸せ。妹も幸せ。弟も幸せ。

じゃあ私も幸せになろう、勝手に。

これしかない。

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