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旧本館解体撤去工事について

 次の写真(写真A)は、東大阪キャンパス・旧本館の解体撤去工事の一コマを、筆者が18号館校舎の3階か4階の階段から撮影したものである。旧本館の周りにフェンスが張られ、最上階までの足場が組まれ、下の階から重機を使った解体撤去作業が始まっていた様子が分かる。

この写真はいつ撮影?

 ここでクイズに付き合っていただきたい。写真Aはいつ撮影されたものだろうか。

写真A(冨岡撮影)

解体撤去作業の開始日

 正解は③である。昨年度に工事があったことを覚えていても、意外に迷った方もあったかもしれない。
 学内で配布された資料を探すと、 2022年3月22日から2023年3月31日に「東大阪キャンパス旧本館解体撤去工事」を実施するという工事届(2022年3月15日)を見つけることができた。
 つまり、②の2022年2月20日の段階ではまだ写真Aのような工事は行われていなかったことが、個人の記憶だけでなく、資料上で確認することができる。
 ちなみに、④の2023年2月20日には写真Bのような様子になり、さらに2023年4月18日には、10号館12階から撮影された写真Cのように、旧本館の建物はすっかり姿を消してしまったことが分かる。

写真B(2023年2月20日時点 冨岡撮影)
写真C(2023年4月18日時点 広報室建学史料室撮影)

完成当時の様子

 この旧本館が、図書館を含んだ本館として完成したのは、『近畿大学創立70年の歩み』(1995年10月27日発行)の「学校法人近畿大学沿革」に 「昭和45年9月1日 本館、中央図書館竣工」と記されているように、今から53年前の1970年9月1日であった。
 学内資料を探したところ、完成当時の次のような写真(写真D)を見つけることができた。また、『学内報』62号(1970年10月5日)には、9月1日に竣工検査があり、同月3日と4日に事務局の移転が行われたと記録されている(写真E)。同じく『学内報』62号には、地下1階・地上8階から成る本館と中央図書館の配置図も収録されている。その一部を紹介しておく(写真F)。

写真D(1970年9月 本学撮影)
写真E 『学内報』第62号(1970年10月5日)2頁
写真F 本館・中央図書館配置図(『学内報』第62号〔1970年10月5日〕3頁)

 『近畿大学学報』第121号(1970年10月1日)には、本館と地下食堂のことが、 「豪華な本館の内部 大ホールや校友会室」「本館地下室に大食堂 9月11日にオープン」と題した写真つきの記事で紹介されている(写真G)。設備の豪華さを強調した記事で、まだ続いていた高度経済成長期(一般には1955年から1973年ごろまで)の雰囲気が伝わってくる。
 「豪華な本館の内部 大ホールや校友会室」の記事の一部を紹介しよう。

館内には事務局のほか大小会議室、五十の研究室、七百五十名収容の大ホール等殊に総長室、学長室、理事室などがある二階の廊下は全てジュータン敷き、壁面は最近流行の、トラバーテックス(ビニールクロスで大理石にみせたもの)を使った豪華なつくり。一階のピロティーと二階への階段の部分には大理石が使われている。また図書館は、同時に数百名収容可能な閲覧室のほか、約四十万冊の蔵書が各階の書架からエレベータ装置を使って短時間のうちに搬入、搬出できるシステムで教職員及び大学院生の閲覧室はすべてジュータン敷き。このほか地階には、五百名を収容の学生食堂、四十四名の職員食堂などがある。

写真G 『近畿大学学報』第121号(1970年10月1日)2頁

 以上、旧本館の解体工事に関連した写真や史資料を紹介してみた。学内で起きた事がらを確認し、後世に伝えていく上で、様々な史資料の有効性を改めて感じた。

なお、原典尊重の観点から、引用史資料の表記はそのままにしている。



文:広報室建学史料室研究員・近畿大学教職教育部教授  冨岡 勝
写真:1970年9月 竣工直後の旧本館


(2023年8月31日公開)


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