自分は何者でもないと知ることから、その人らしさが始まる。
友人のnoteを読んだ。
なんだかすごく共感した文章だった。
『特別な人間なんかじゃない』
何者でもないただの自分という存在に気づいて、周りの人や環境に自分を依存させて、なんだか人よりいろいろ知っている気になっている。
ネットを通していろんな情報やノウハウに触れられて、それをなんだか知っている風に、なんでもできる気になっている。
すごいねと言われるその言葉に、謙遜しながらも、自らそんな言葉を求めにいっている。おれは人とは違うんだと、いろんなビジョンを持っていて、こんなにもワクワクしているんだと。
そんな自分から見た「特別な自分」に酔っているのだと、気づく。
「特別な人間なんかじゃない」
みんなそれぞれ、いろんな環境、立場、視点、価値観を持って生きていて、それぞれに得意な分野や苦手な分野、今までやってきたこと、失敗してきたこと、その経験値がある。
それはなにも特別なことではない。
むしろ、社会には優秀かどうかは関係なく、ずっと前から経験を積み重ねてきている大人たちがたくさんいる。
そんな社会に出たときに、
自分はなにも特別な人間なんかじゃないことに気づいた。
もう少し正確に言えば、画一的な教育機関の中で特別だった学生から、多様性の中の一人の人間だったことに気づいた。
薄々気づいてはいたんだと思う。
そして、まだ経験の浅い、できることの少ない自分の非力さに嘆いていた。
なんでもできると思い込んで慢心していた心の中の自分を、一度放っておこう。きっと奴はあとで後悔するだろう。
まだまだ知識経験の浅い未熟者だと気づいてしまったから、肩肘張らずに、もう素直に勉強しよう。ただ目の前のことに取り組んでいこう。
負けを認める。
この見えすいた虚栄心ではこの世界では生き残れないのだ。
経験したもの勝ち、続けた人が生き残るのだ。
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