布団星人、なぜ語る?

『風通信』原稿 2020年11月号
布団星人がゆく 42(最終回)

 毎年今頃の時期、昔の職場仲間等々から、「子どもたちに水俣病のお話をしてほしい」という依頼が舞い込むことが毎年のようにある。ありがたいことである。お話に行くと、前半には水俣で撮ってきた写真を見せる。教科書や資料からはなかなか知ることのできない現在の水俣の様子を紹介することが多い。現在の水俣の自然や町なみ、水銀ヘドロが埋め立てられている場所、水俣病事件の慰霊碑など。そして、後半は、今まで自分たちで学習したり私の話を聞いたりして不思議に思ったこと、知りたいことを質問してもらう。

 子どもたちからは実に様々な質問が飛び出して毎回感心するが、よくある質問のひとつに、「なぜ人前で水俣病のことを話せるのですか」というのがある。子どもたちは、水俣病事件が起こったことで、地域全体が差別や偏見にさらされて、皆が様々な苦難を背負ってきたことを勉強してから私の話を聞くことが多い。もしかしたら自分も差別されたり嫌な思いをしたりするかもしれないのに、なぜこんなに堂々と水俣病のことを話すのか?不思議でしょうがないようなのだ。

 この質問には長い間答えにくかった。色々思いつく返答はどれも白々しい。私の両親や親せき、地域の人たちは何も悪いことをしていないと偏見を払拭したいのだろうか。この理不尽な事件が風化されてはいけないという義務感にかられてのことなのだろうか。過去の公害を教訓として、未来を担う子どもたちには、二度と同じことを起こさないための選択をしてほしいからなのか?カッコいいように聞こえるが、どれもしっくりこない。

 ずっと考え続けてきて、最近ふと気づいたのだ。私はごく単純に、そこに私の話を目を丸くして真剣に受け止めてくれる相手がいるから話せているだけなのだ。子どもたちが、水俣病事件という理不尽を前にした怒りや戸惑いを共有してくれているから、私は子どもの頃から一人で悩んできたこと、昔むかしは誰にも言えずに心にしまってきたことを、話すことができるのだ。現在46歳の私は、初めて水俣病事件を教科書で読み、「自分もこの病気なのだろうか」とおびえていた小学校5年生の自分自身を「いや、大丈夫、こわくないよ。こうやって一緒に考えてくれる人がたくさんいるじゃないか」と励ましているのかもしれない。
 つくづく人はひとりぼっちでは頑張れない生き物だと思う。世の中には、簡単には解決方法の見えない問題があまりにも多い。それに共に疑問をもち、そんなのおかしいと憤り、よりよい道を探そうと一緒に手探りを続ける仲間がいるから、私はこうやって自分をさらけ出すことができる。何か大きな理想やら思想やらがあるわけではなく、私はこの生きづらさばかりが目に付く日々のなかで、自分の心の居場所を求めて子どもたちと話をするのだ。

 ここまで一度も休まず書き続けることができたのも、私が日々の中で感じる疑問やつまづきに丁寧に向き合って下さった読者の皆さんに力づけられ、励まされてのことだと思う。

今まで本当にありがとうございました。


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