映画『MINAMATA』が描いたこと、描かなかったこと

 9月23日、映画『MINAMATA』が全国の映画館で見られるようになった。
 色々な人が「見て感想を聞かせてね」なんて言って来ていて、「そうだね、楽しみだね」なんて返事をしていたが、本当は映画を見るつもりはなかった。私にとって、水俣病なんて四六時中当たり前にそばにあるもの、自分達の日常そのものなのだ。できることなら普段は忘れていたいというか、上手に距離を取っておかないとすぐにマイナス思考や面倒な症状に取り込まれる。
 しかし現実にはそうはいかなかったのだ。上映開始の日を境に、いつも以上に足先や頭のあたりが痺れて、変な感じがする。自分の身体に「映画を見に行け、早く行け」と催促されているような気がして落ち着かないのだ。「こんなの気のせいだ」と2日間我慢したが痺れは収まらず、私は土曜日ついに観念し、近くの映画館の朝いちばんの席を予約した。普段は昼近くまで寝ていることも多いのに、朝早く起きていそいそ、ごそごそしている私を見かねた家人が、心配そうに一緒に行くと車を運転してくれた。
 
 そんな風に病気に引きずられるようにして見に行った『MINAMATA』。結果としては、見てよかった、久々に家族でお出かけもできて一石二鳥、だった。
この映画なら、色々な人に受け入れてもらえて、水俣病事件について関心を持ってくれる人が増えるかもしれない。やはりたくさんの才能と努力が結集した作品だけあって洗練されていた。眉をひそめてもやもやするような過大なデフォルメやお涙ちょうだいな大袈裟な演出、誤解を生みそうな変な日本文化の表現なども一切なく、気持ちよく時間が過ぎていった。
 実はこの映画は「水俣病事件」だけを題材にしているわけではないのだな、と、エンドロールを見て理解できた。エンドロールには世界中で起こっている“人為的な事件”が20以上、報道写真と共に紹介されていた。日本では、福島第一原発事故によってふるさとを追われた人たちが裁判でたたかっている写真。薬害サリドマイド被害者の写真も出てきた。どの事件も、多くが子どもや少数民族、過酷な労働を強いられている人たちなど、社会的に弱い立場にある人がより深刻な被害にあっている。昔も今も、一部の命を犠牲にして成り立っているこの世界のありように対して、静かな怒りを表現している映画だった。そして、それを見る観客に、自分達ひとりひとりもその理不尽に加担していることに気づいてほしい、と、伝えたかったのかなと思う。
 
 ストーリーの作り方も面白かったと思う。事実をもとにしてはいても、ストーリー自体はフィクションの部分も多く、ん?現実とは違う??という所がたくさんあったが、不思議と違和感や嫌悪感はなかった。「水俣病事件」というひとつの公害事件を題材に、それに巻き込まれた一人ひとりの生き様や葛藤、様々な立ち位置みたいなものがしっかり描かれており、「事件」自体の話というよりは、それに関わる人達の群像劇のような話に仕上がっていたからだったかもしれない。被害者にとってはもちろん、ユージンのような取材関係者、または加害者にいたるまで、“それぞれの人に、それぞれの水俣病事件”があることが伝わる構成だったように思う。
 水俣に入る前にすでに過酷な現場で心身のバランスをすっかり崩している写真家ユージンは、時には取り乱したり凹んだりしてとっても人間的だった。住民のリーダーとして抗議の先頭に立っている男性は、家に帰れば優しいお父ちゃんだったし、重度の胎児性患者の女性の父親は、「工場の関係者でもあるので事件を大袈裟にしないでほしい、だけど広く世間にこの事を知ってほしい」と大いに迷う。加害企業の社長は、はじめて直接聞く患者たちの声や深い怒りに接して、平静を装いつつも、ちょっとうろたえて固まってしまう。
 人は希望がないと生きていけない。昨日より今日が、今日より明日が、より幸せに、穏やかなものであってほしい。そう願う人たちがそれを叶えるために、それぞれの立場や思いで「闘って」いて、それが交わり集まって、大きなうねりになって、司法を動かし、国や企業を動かす。一人ひとりの営みは小さくても、やはりそれを集めると大きな力になるのだ。水俣病事件が起こしてきた様々な奇跡や、深刻な病苦・公害でありながら人々をひきつけて止まないのはなぜか、そこが、ちゃんと映画の中で表現されていたなと思った。
 
 一方、映画では描かれていなかったこと、当然描ききれなかったこと・・・もあると思った。
正直言って、この映画を見ても、「あぁ水俣に帰りたい」とは全然思わなかった。懐かしい景色やひと、言葉、においみたいなものが、全く感じられない。石牟礼道子の『苦海浄土』をはじめて読んだ時の魂がふるえるような感覚とはまるで違った。
 海が、違うのだ。海の色が、波のありようが、微妙に違う。
 ストーリーには違和感がなくても、ここにはあの海がない、海が見えない、という違和感は最初から最後まで拭えなかった。様々な事情があったのだろう。撮影された場所は外国で、不知火海とは全く違う海だ。
 そして何より違うのは、あのあたりの独特の地形が作る風景だ。一つひとつの集落を、複雑に入り組んでいる海岸線がくるりと包み込んで閉じている。海と山がすぐ背中合わせに迫る、あの豊かで、でも生活するには少し不便な地形。

 その複雑な海岸線が作る地形と集落の形は、水俣病事件の複雑さそのものでもある。それぞれの集落はすぐ近くにあるのに、漁のやり方、人とひととのかかわり方、そして何よりも“水俣病事件”との距離の置き方が全く違う。世界中の人の心も動かす活動や表現に生涯をささげた人のいる地域もあれば、ひっそりと(というよりは頑強に)水俣病事件などなかったかのようにふるまう所も地域もある。水銀汚泥処理のために埋め立てられて昔とはまるで景色が違ってしまった所もある。
 何か社会で起こった事件を理解しようとしたとき、やはり「ひと」を知るだけでは不十分なのかもしれない。そこにある背景全体をとらえなければ、見えないものがある。この映画を地元で撮影できなかった事自体はとても残念ではあるし、だからこそ描けたものもあるのかもしれない、とは思うが、あれはあくまで 『MINAMATA』であって、『水俣』ではなかったかなあ、そこは惜しかったかなあ、とは思う。
 それが映画という表現の限界、なのかもしれない。水俣病事件の本質・・・地域の分断や重層的な差別の構造、病苦自体より、社会からの疎外や経済的困難がより被害者を苦しめたこと・・・を実感し理解しようと思ったら、やはりあの美しすぎる映画の表現だけでは不十分のように思う。
 

 映画を見て水俣病事件のことをもっと知りたくなったら、ぜひ現地を訪ねたり、他のドキュメント映画や写真、今までにたくさん水俣病事件に関わってきた人たちが残した膨大な記録などを紐解いてほしいと思う。
そしてぜひ、現在もなお続く水俣の人たちの暮らしと、映画を見た方自身の暮らしとが地続きのものであり、決して遠い世界の話ではないということを、実感してほしい。
 そしてそれがまた新たな交わりを生み、大きなうねりとなって、「役に立ついのち」のみを守り「役にたたないいのち」を軽く扱ってしまっている現在の恐ろしい流れを止める力の一つになってくれることを願ってやまない。
 
 
 
映画『MINAMATA』公式サイト

https://longride.jp/minamata/

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