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10年こじらせ脱うつ日記


漫画家 逢川里羅さん著書
にゃんともしんどい!
10年こじらせ脱うつ日記

だいぶ前に購入して何度か読ませていただき
今さっき、何度目かの再読。

私は高校生の頃人と会話することが怖くなり
しばらく学校に行ったり行かなかったり…
卒業後もメンタルのHPギリギリの自分を奮い立たせ、人間関係ボロボロのまま
なんとか働いてきた過去を持っています。


現在33歳を迎え、症状はほぼなくなり
やっと回復した!と思えていたのに
また最近自分の様子がおかしくなり
どうしたものかと、もがいていました。

そうして気づきました。

私が昔病んでしまったきっかけも
今回また調子が悪くなったきっかけも

"他人にどう思われるかを気にして自己否定した"

これが要因であったんでしょう。


中学生の頃、今思えば精神的な病気を抱えていたであろう母との関係に私は真っ向勝負を挑んでいました。

母に対して、そういう態度はおかしいとか、もっとこういう風に考えるべきだとか
精神論?を押し付けて戦っていました。
これは主に母に対してですが、父にも学校の友人に対しても同じで
今思うとしんどい奴だな〜と思います。
私の態度が人の負担になっていた可能性は大いにあり、褒められた言動ではなかったと反省しています。

ですが、当時の自分を庇うと
父のモラハラに耐えながらストレスを溜めた母の怒りの矛先が主に私に向いており
それを分かっているが見て見ぬ振りした10歳年上の姉と父が、母に便乗して私をスケープゴートにしていた。

と大人になった私は分析しており
そんな中でよく命を絶たず自分を守って頑張っていたなと、私は私を誇りにも思っています。
今思い返すと私はほぼ毎日家族のことで傷つき、お風呂や布団の中で声を殺して泣いていました。誰にも、相談できないまま。

何度思い返しても、幼い自分が可哀想で思い切り抱きしめて褒めてあげたくなります。

あなたは頑張っている。
家族からの全否定を受けながら
生きているだけでもすごく偉いんだよ、と。


そうして生きてきたけれど
高校に上がる時、思ったのです。

こんな風に母を否定したままでは私は大人になれないのでは?受け入れないといけないのではないか、と。


同時に私は気づいていました。
私を否定する母を受け入れるということは
私が私を否定するということだ、と。


頭の中で危険信号が鳴りましたが
私はそれを無視して
"大人にならなければ"と母を受け入れる道を選んだ。
これが鬱への入り口だったと思います。

高校生が精神疾患を持つ母を肯定して受け入れる。なんて今思えば無理にも程があります。

ですが当時はなぜか、それが自分の成長に不可欠だと思っていたのです。
それはおそらく、姉や父からの、母を受け入れないお前が悪い。というプレッシャーによる影響が大きかったと考えられます。


そして時を経て今の私。
就職活動に躓き、友人との関係にも悩むことが増え、解決するための手段を自分の外側に求めるようになりました。

努力が足りない、自分の性格が悪いのでは、
ならどうすれば、正しい努力と認めてもらえるのか、性格が良い人になるにはどうすればよいのか…

仕事をするうえで、苦しい努力は必要不可欠なんだ。みんなやってることなんだ。
私は今のままでは人から嫌われるんだ。変わらなければいけないんだ。


自己否定、していますね。

生きていく上で努力や、他人に対する態度を見直すことは必要なことかもしれません。

ですが
仕事をする上で、自分の負担や苦しみが少ない業務を選ぶのはそんなに悪いことでしょうか。

私の言動に問題があったとしても
こちらを見下すような態度をとる人のために
自分の中の悲しい気持ちを否定してまで
変わる必要があるのでしょうか。


私は、努力の発信源を自己否定から始めようとしていました。

話はまた学生時代に遡り

私は幼稚園の際に登園拒否、
小学生の時も友人関係がうまくいかず
トラブル続きでした。

中学入学前、もうこんな孤独な自分は嫌だと思い、変わることを決意。
自分の周囲の"人から好かれる人"を必死に観察、自分と日々比較し、とにかく自分の言動をその好かれる人に擦り合わせるようにしました。真似しすぎると不自然になると思ったので、その点も気を配りながら…
3年間続けた結果、トラブルはほとんどなく、中学の頃を思い返すと楽しい思い出ばかりが浮かぶ。そんな時間を過ごすことが出来ました。この時期に親しくなった友人とは今も付き合いが続いています。

この時の自分も確かに自己否定しながら試行錯誤して、自分を変化させていますが

発信源は前向きでした。
もっと楽しく生活したい。沢山の友人を作って、いろんな人と話をしたい。

嫌われたくないとか、そういう外部を気にしたものではなく

完全に自分の内側から生まれた感情を受け入れて、素直に行動していたのです。

私は今でも、この頃の自分が大好きです。

好かれるための努力をしていたけど
嫌われてもしょうがないという意思も同時に持ち合わせていた。



本を読んで、過去を遡り、
頭と気持ちの整理がついてきました。


私は今どうなりたいのか。

あの頃からほとんど変わっていないのです。


中学の頃から思っていたこと
"幸せであることを日常にしたい"
"いろんな人と話がしたい"
"できれば誰のことも否定したくない"
"自分の感情も否定せずに生きたい"


こんな指針でもいいんじゃないかな。


何者かになりたい。
結果を残したい。

なんて大それた目標、私は持てないみたい。

だけど、努力する自分は好き。
正し、その発信源は前向きなものでありたい。これは必ず。


道が開けた気がします。

本はいつかの私を助けるために
ここに存在してくれたんだと感じました。

過去の私、この本を手にしてくれてありがとう。
著者様、書き上げてくださってありがとうございます。


💜

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