もだえ(1944)

前提

大好きなベルイマンが監督デビューする前に脚本で参加した映画。もちろん脚本はいいが、それより監督アルフ・シューベルイによる演出が思いのほかよかった。ナチズムの残虐性を描いたとか。(三木宮彦, 『ベルイマンを読む』)

かんそう


性的に倒錯した人間による暴力的な云々かんぬん。。と言いたいところだが、実際は当時のスウェーデンの学生が覚えた学業のプレッシャーと閉塞感を大げさなたとえ話とリアルなロケーションで描いたということだと思う。

カリギュラについては、売店の女の子のけがをした手を取るシーンを通して血液大好き犯罪予備軍変態オヤジであることが示されていたり、おじいちゃん先生に正論パンチ食らって「あ!頭いたい!頭痛くなってきた!精神病んでるから!僕の地図がない!」となんとも甘えん坊な一面を見せるなど、うまいこと伏線が張られていてお行儀がいいと思った。

カリギュラとマゾヒスト女の関係はよくわからない。映画に出てくる猫はたいてい何かの暗示だが、この映画の猫はかわいい以外何も思いつかなかった。黒猫なら暴力的な女性のメタファっぽいが。

学生がカリギュラを殴ったのは、カリギュラが象徴するところの学業そのものをぶっ飛ばしたのだろう。尾崎豊的に。理想主義の学生と現実主義の友人の対比がのちに聞いてくるかと思ったが、友人は前半しか出てこなかった。

この映画1944年公開とのことだが、カミュの戯曲「カリギュラ」も1944に書きあがっているらしい。偶然なのか。


めちゃノワール的

あらすじめも

広い建物の中を歩く男。天井の高さが教会くらいあって、カメラのパンで広さが表現される。階段を降りるところなんかは意味深に陰影を強くして、ノワールのよう。

シーンは変わって授業中。学校だったらしい。棒を持った教師。厳しい。女王の教室を思い出す。
机に備え付けのインク入れにペンをつける様子が美しい。

主人公らしき学生は教師に嫌われている出来損ないらしいが、家にはシャンデリアがぶら下がっている。金持ち。

カメラが前後に移動したりするのがやっぱりアメリカのノワールっぽい。44年だし流行りだったのかもしれん。

学生を幼稚な理想主義者だと批判する、友人のサンドマン。現実主義者。しかし学生といっても、髪を固めてカフェでたばこを吸っている様子を見るとおっさんに見える。教師のあだ名はカリギュラ。

夜の帰り道、酔った女を家まで送る。伸びる影、明らかにノワール。犯罪が起きそうな予感がする。女はDV彼氏を恐れているらしい。電灯を消す手が官能的。ペレ、茶白の猫。

帰宅した学生、父親がまだ起きていた。気まずそう。というか気づかれていそう。

この映画、学生エキストラを大量に使っていて学校の賑わいが伝わってくる。
ザコ学生が優しいおじいちゃん先生にカリギュラのパワハラをチクる。こういうおじいちゃんは80年前のスウェーデンにもいたのか。

おじいちゃんとカリギュラの対決。割とコテンパンにカリギュラを言い負かす。彼は神経を病んでいると言い出す。

学生は女に会いに行くが、相変わらずDVだかストーカーに怯えて部屋の中にいる。学生は処女厨。女の部屋の合い鍵をゲットする。女を守ると誓ってキスをする二人にのびる手の影の演出が怖い。

卒業試験の日。試験が終わると学生は女の部屋へ走り出す。この映画最初の屋外ロケ。よくあるヨーロッパの旧市街の雰囲気。ストックホルムかはわからない。

彼女はレイプされていたらしく、発狂してしまっている。ナイフで殺されるという。

学生はさらにカリギュラと溝を深め、高熱を出して寝込む。枕元にカリギュラと女がやってくる幻覚を見る。

健康を取り戻した学生は彼女のアパートを訪ねると、女は死んでいた。きちんと盛り上がりのシーンで音楽が大きくなるのがいい。没入感あって。

現場にはカリギュラがいた。「僕はやっていない」と別人のように弱気になる。おじいちゃん先生に言い負かされた時と同じなので、自分が責められるとこうやって同情を誘ってきたんだろう。

この後は後日談。学生はカリギュラを殴って退学、親から勘当される。校長は同情し、面倒を見るという。

最後に待ち伏せられたカリギュラに同情を誘われるが、その手には乗らんとばかりに学生は外へ歩いてゆく。

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