努力の方向性、というハナシ。

昨日、妻ととあるテーマについて話していた。それは、「努力の方向性」。

まぁ、もちろん「努力の方向性について話そうか!」といった感じに会話がはじまったわけではないが、何気ない妻との会話から、いろいろなことを考えた。

ことの発端は、妻の知人のお子さんの話題だった。そのお子さんは大学受験を控える高校生で、やっとこさ合格した進学校で勉学に勤しんでいた。

いや、勤しんでいた、なんてレベルじゃないだろう。どうやら彼女は、毎日のように睡眠時間が3時間ほどしか確保できず、体調を崩しながらも文字通り必死で机に向かっているということだった。

毎日のように睡眠時間が…というのは、妻が知人から聞いたハナシなので、どこまで正確なのかは分からない。ただ、いくら進学校に通っているとはいえ、それは尋常ではないだろう。

しかも彼女、塾などに通っているわけではなく、学校からの課題をこなすだけで、睡眠時間を削らないといけないくらい、毎日追い込まれているというのだ。しかも体調面では、ストレスからかホルモンバランスの乱れからか、婦人科系の不調も出ているらしい。

学校に通ってるだけで、そんなことある?あるのかな?進学校に通ったことないから分からないけど。

もしかしたら、僕の頭では想像が追いつかないほど過酷な課題が山のように出される方針なのかもしれないし、その彼女が、ゆっくり課題に向き合うタイプなのかもしれない。

しかし、しかしだ。どれだけ努力を続けていたって、体調に異変が出てしまったら、何にもならないだろう。と強く思う。
彼女の身に起きている不調が、不可逆的で侵襲的なものでないことを祈るばかりだが、周りの大人は何をしているんだという怒りさえ覚える。

特に両親だ。

もしかしたら、娘が夢に向かって必死に努力しているのを見守り、全力でサポートしているのかもしれない。

もしかしたら、健康を心配して何度も何度も説得したが、娘さんが聞く耳を持たず、猪突猛進状態になっているのかもしれない。

しかし、しかしだ。親であるなら、そんなことすらどうにかして、娘の心身の健康を守ることが大切じゃないのか。むしろそれ以外に、優先して守るべきものなんであるのか。僕にはないと思う。

必死で、命を削って机に向かっている彼女には、難関大学に進んで叶えたい夢があるのだそうだ。
しかし、残酷なことに、希望する大学への合格判定はBを最後に頭打ち。今ではC判定らしい。

夢に向かって少女が努力する物語、といえば聞こえのいい美談だ。

これだけやっても進学が叶わないのであれば、「努力は必ず報われる」というのは嘘だ。という皮肉に満ちた悲劇に書き上げることもできるだろう。

しかし僕には、周囲の大人に恵まれず、ひとつの夢にしがみつく人生しか知らず、命を削る形の努力しか教えられてこなかった、不憫な少女の虚しい物語に思えて仕方がない。

もちろん、彼女の努力は凄まじい。テスト勉強さえ一夜漬けだった僕なんかでは、どうやったって辿り着けないレベルの頑張りだ。その熱力というか根性には、尊敬すら覚える。

だけどそれと同時に、「努力の方向性が違うかも」と、残念ながら感じてしまうのだ。

もしかしたら、課題への取り組み方の効率が悪く、余計に時間を使っているのかもしれない。

もしかしたら、彼女の頭の構造が、理系よりも文系向きなのかもしれない。

もしかしたら、残酷だがもしかしたら、目指している夢はそもそも、彼女にとって難しすぎるのかもしれない。

だけどそれは、きっと彼女は本人には分からない。判断がつかない。もしそうだと思っても、確信して踏ん切りをつけることはできないだろう。だってそれは、これまでの17年間の人生を、自ら否定するように感じられるだろうから。

それなら、そんな彼女を守ってやれるのは、周りの大人たちなんじゃないのか。両親なんじゃないのか。
全ての責任が両親にあるとは思わないが、あまりにも不勉強ではないか。

そんなことを、強く考えたハナシだった。

ちなみに、もはや有名なハナシだが、「努力は必ず報われる」という格言には続きがある。

「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのなら、それはまだ努力とは呼べない。」

これは、かの王貞治さんが語ったと言われる言葉だ。しかし僕は、異論を唱えたい。僕ならこう語る。

「努力はある程度は報われる。報われない努力があるのなら、努力の量か方向性が間違っているかもしれない。まずはいい努力の仕方から、勉強しよう。」

我ながら歯切れが悪く、間違いなく名言たりえないとは思うが、僕はこう思うのだ。

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