ウォシュレットと感覚の鈍麻について
これは、ある土木作業員さんのお話。
高齢化が叫ばれて久しい日本社会において、建設業界は突出して年齢層が高い。ガラケー、競馬新聞、仕出し弁当のプラスチック容器が休憩所には良く似合う。令和という年号が本当にあるのか疑わしいくらい、古き良き昭和の香りがする。
そんな建設現場において、最先端を感じる設備がある。「温水ウォシュレット付き便座」だ。この普及率は、そのまま日本がウォシュレット社会であることを教えてくれている。とても衛生的で文化的な臭いのする機械だ。
さて、この道20年以上のベテラン職人かつ痔持ちの彼が今回の主役。今日もモーニングルーティンの大は欠かさない。ポチッと押して歯を食いしばる。「また確認を怠ってしまった」という後悔とともに停止ボタンに指を置く。
「デフォルトで最強」、これが彼の悩みだ。なぜいつも最弱ではなく最強なのか。とにかく、最強最大にしたままの便座が多すぎる。朝、少し油断するとこれだ。「毎回、中あたりに戻ればいいのに」とボヤいたことは数え切れない。
人間は刺激を受けると、刺激に慣れていく。どんどん強いほう、激しいほうを求めて進む。気がつけば、3、4段階ある最上の高みにいた。そんな普通でないことが当たり前のようになってしまっている。年齢を重ねるということは、感覚を麻痺させていくことなのかもしれない。
追伸、
ウォシュレットの蓋を開けたままにすると怒られる家庭で育った私は、上がったままの蓋を見ると心が張りつめます。