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令和3年9月10日 晴れ

弓道 第二話

・・・しかしもちろんのこと、実際は誰にも斬られちまうようなことはなかった。教士六段の放った矢は的へ向かって緩やかな弧を描きながらぴゅんと飛び、的を貫いた瞬間、その音はベースボウルで例えるならば豪腕投手の投じた100マイルの速球を受けた瞬間の捕手の革グロウヴが発した音の如く、なんともおれの下腹にさわやかに響いたものだ。
しかしおれの興味をまず最初にひいたのは、矢が的を得るという実践的な愉しみよりも、弓そのものの美しさにあった。弦が弓の両端のはずに張られてしなったときのうっとりするような形態、およそ機能的とは思えないほどの長すぎる弓尺…。そしておれの価値観までも揺るがせた最大のショックは、その弓を扱う射手自体はもはや主役ではなく、単に弓に奉仕するための、いうなれば一介の殉教者にすぎないということであった。おれが今までやってきた音楽の世界は個性のぶつかり合いであり、いかに他人が思いつかないような世界を創造することに価値を見出し得たものだが、それを弓道は尽く否定しているかのようだった。決して人が秀でてはいけないのだ。あくまでも弓が中心であり、人がただ的中させるためだけに放った矢は下等であり弓道の美に反するものであり、たとえその矢が的中したとしても、そういう小手先の射はむしろ的中しないほうがはるかにましなのであった。おれは最初それに気づいたとき衝撃のあまり目眩がしたほどだ。はたしてそういうスポーツがあるだろうか。自意識過剰な自分に向いているだろうか。一体なんのために狙うべき的が目線の先にあるのだろうか?
・・・或いはおれはあまりにも神経質にとらえすぎたのかもしれない。
(第三話へ続く)

双葉双一

※参考図書「弓道教本 第一巻 射法篇」全日本弓道連盟編





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