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移動するということ、GSX250Rというバイク

免許を取って真っ先にしたことは、バイク探しだった。

欲しいバイクを上げていけば、戦前のイギリスバイク黄金期とも言うべきブラフ・シューペリアにヴィンセントや、BMWのOHVボクサー、ヤマハの不人気バイク ルネッサ、過激な2ストクォーター、ライトウェイトスポーツのお手本とも言うべきパリラを始めとしたイタリアンスポーツetc

とは言え、コロナがもたらした諸問題の一つとしてバイクブームと中古車の高騰があり、バイクブーム時代のバイクたちは新車価格を超えるプレミア価格が付くようになり、現行車種の中古車でさえ新車価格を上回るようになっていたのだった。
(レブル250なんか定価60万の単気筒バイクの中古が乗り出し90万円とか信じられない状態だし)

車が使えないので、入院したりすることが少ないある程度実用的に動ける足車で、色々と積み重なるウェアやらETCやらなんやかんやを考えると、高騰してしまった高年式車はちょっと手が出ず、高速道路なんかを考えたらフルカウルが欲しくなり(見た目も大好きだ。)
さりとて現行の400ccクラスは欲しいバイクがなかったので250ccから探すことに。

あまり今風の凝ったライトデザインの二眼デザインは好みでなく、アドベンチャー系は実車を見たときの大きさに怯み、スズキファンなのもあって一番惹かれたバイクはGSX250Rだった。

普通二輪免許を取得し、故障してずっと放置していた原付きを友人にあげて、バイクを置くスペースも作って、原付き買ったときの失敗に懲りて時間をかけてじっくりバイクを探してみようかと思ったその日、グーバイクでGSX250Rで探すと、ETC付きで走行距離950km 新車保証1年付きの中古が乗り出し45万円で売られているのを発見。翌週にはもう契約をしていた。運命でしたね、、、

原付きを除けば初めての愛車ライフとなったGSX250R、2ストのドラマチックさとくらべて全く盛り上がりのないエンジンにはちょっとがっかりしながらも、二段階右折も30km/h制限もない運転は快適そのもの

同時に、公道には紳士はおらずチンパンジーだらけという現実にちょっと辟易したり
(自動車と同じ感覚で車間を開けてるとバイクはどんどんノーウィンカーで無茶な入られかたをしたり、見落とされて幅寄せされるように車線合流されたりetc)

さて、免許をとって車やバイクで移動するようになって感じたのは人の認知というのはかなり移動手段に左右されるのだなということだった。
今までの電車での移動ではどうしても点と点を移動するような感覚になってしまい、やや窮屈に感じたりその街を知るというのには限界があるなと感じる。
自動車だと快適さはあれど運転に慣れてないのもあってか、精神的にはあまり開放感はない。
徒歩や自転車だとマーカーで地図を塗りつぶしていくような感覚でじっくり街を見れる反面、どうしても1日の時間では密度を上げることが出来ない。

一方でバイクは出発点から目的地を糸で縫っていくような積み上げ感と、移動による街や道の雰囲気や変化をむき出しの身体で猛スピードで移動する分、すごくよく感じることができる。

同じ場所に行くのでさえ移動手段で、自分の世界の捉え方が大きく変わるのは、30台になって新しい発見だった。

もう少しバイクで移動することに絞って考えていくと、バイクは非常に自制心と俯瞰的な視点が求められる乗り物だ。
車のように遮る壁がない分、運転中の快感と不快のコントラストがはっきりするため、エンジンの気持ちよさやカーブのときに感じる荷重の変化などを自身の心地よさを優先した運転をすると間違いなく事故るし、むき出しで走ってる分、事故った時のダメージはすべて自分の身体で払わなければいけない。

公道を走れば、車の車格と比例するように自尊心が肥大化した自動車とも遭遇するし、ただでさえ死角に入りやすい乗り物なので自分を常に俯瞰した乗り方をしてないとすぐ怖い思いをすることになる。

バイクを無意識に操れるようになっていけば、エンジンの力で自身の身体感覚が拡張されて他では味わいにくい快感がある一方で、それに身を任せれば破滅する。

えぇ私も原付きのときにやらかしましたとも。

歴史が好きなので歴史の話をすれば、産業革命がもたらした恩恵の一つに
庶民の移動の自由というのがある。
それまで、多額の旅費が必要だった長距離移動が、産業革命の蒸気機関と鉄道の発明に始まり、蒸気船、自動車、飛行機の普及によって一気に安価になったのだ。

そういう意味ではこれらの技術が成熟期を迎えた20世紀は移動の世紀と言っても良いだろう。これほどまで多種多様な移動方法が一般庶民に与えられたことは人類史上無いはずだ。

21世紀ももうすぐ四半世紀を迎えようとする中、乗り物は大きな転換点を迎えている。僕の内燃機関付きに単車も20世紀の遺物みたいな存在になるのかもしれない。

幸いなことに、おしまいになるまでもう少し猶予があるみたいなので、少しずつでも良いので、単車と距離を重ねて移動する自由を感じることが出来たらと思う。



飛行機とか好きな人