疫病、免許、単車に乗る。

2023年あけましておめでとうございます。

しばらく放置していたNoteをもう一回書こうと思ったのはTwitterに過度になれて長文を文章を書く力が衰えそうだったのと
ちょっとあとで見返せるものを残したいからなぁと思ったからだ。
PREP法?知らん。

4年放置していたNoteに悪文を練り上げていく間に世の中では色々な事があった。

100年ぶりに全世界を震撼させる疫病が流行り、人々は交流を制限され3年経った今でも元に戻るかもわからぬ日々のなか、変わってしまった世界に対して劇的な何かできるでもなく、自分の手が届く半径3mぐらいの世界で自衛しつつ、消極的な慣れとともに日々は過ぎ去っていく。

ニュースを見れば少しずつ積み上がる死者と医療従事者の消耗を感じ、かつての大国の見る影もない、身勝手な侵略戦争なんていう10年前には誰も本気にしなかった出来事さえ日常となって時は過ぎていく。

どんな異常も毎日の出来事にしてしまう日常の強さよ。

とは言え日常に不満を覚えるものであって、毎年恒例だったリノ・エアレースの取材も出来なくなり、鬱憤が溜まっていった私はちょっとした"新しい生活様式"への反乱として自動車免許を取ることにした。

乗り物が好きになったのが何歳の頃だったかわからないぐらい乗り物が好きだったけども30歳になっても免許は取れずにいた。

高校・大学時代はいわゆる家庭の事情というやつで色々あったため免許を取る機会を失い、社会人になってからは1/1サイズのメーヴェを作って飛ばすOpenSkyを手伝ったり、リノ・エアレースに取材に行って同人誌を書いたりしていて時間的にも資金的にも免許まで手が回らなかったのだ。

密です!の掛け声で、何も出来なくなって宙に浮いた時間と溜まっていく銀行口座、そんな中でとてもささやかながら免許を取りに行くのはちょっとした新しい企みだった。

生まれて初めて自動車学校に行ってみるも、新型コロナは、若者の自動車離れという言葉とは裏腹に盛況すぎて全く予約が取れない状態となっていた。
"新しい生活様式”は、若者たちに車の価値を再確認させ近年稀に見る賑わいとなっていたのだ。

10歳ぐらい年下の子たちから浮きながら、やや子ども扱いするような講師陣からの講義を受けて学科をこなし
(実際授業を受けている大多数は未成年だったりするのだが、、、)
今や絶滅危惧種となったマニュアル車に乗ってはエンストを起こしながらも無難に実技のハンコを拾い集め、公園でおこぼれを探す鳩のようにひたすらキャンセル待ちを狙っては教習の予約を繋いでいき
送迎バスの乗り物酔いに苦しめられながら、Twitterで教習課程をぼやくこと5ヶ月、遂に自動車学校を卒業することが出来たのだった。
(教習と卒検は一回も落とさなかったのにこれだけかかったので"新しい生活様式"の与える世界の変化の大きさよ)

学科試験は始発で鴻巣に向かい、ウルトラ教室(全国にご当地免許対策教室が存在するらしい)を横目に喫茶店でiPhoneアプリでひたすら勉強をして、こんな考え方するやつとは絶対に友だちになりたくないと思うような問題文をねじ伏せ一発合格、晴れて運転免許を手に入れることができたのだ。

とは言え国家権力から殺人的なパワーを持つ乗り物の操縦資格を手に入れるも、若者のクルマ離れは私の身にも襲いかかり、家の自動車を借りようとしてもなかなか自由に借りることが出来ず、車を運転すれば交差点の中で自動車を当てられ生まれて初めての交通事故を経験し(過失割合が9:1になったら場合によっては片側賠償するか交渉してみてね)悩んだ末、1年後、普通二輪免許を取るために私はもう一度自動車学校に足を踏み入れたのだった。

単車は小さい頃からGSX-Rに憧れ、中二病の時代にはキノの旅の直撃を受け、中古で買ったWGPのビデオを見てはシュワンツに憧れ、MotoGPの中継を見てはロッシに敵意を燃やし阪神ファンのようにスズキを応援していた私にとってバイクは当然大好きな乗物だった。

とは言え陰キャにありがちな球技大会が嫌いで、持久走大会も体育祭も良い思い出が一つもない私に取って、自分の運動神経はパチンコにハマった彼氏が言う「明日には必ず返すから!」という言葉と同じぐらい信用できない物で、私が生まれる何年も前に親戚が何人か峠でバリバリ伝説をしてしまったせいで、家族からはバイク雑誌を見るだけで怒られたり動揺したりしていたのでなかなかバイクの免許取得は踏ん切りがつかないものだった。(それこそ原付免許を取るのでさえ、ひと悶着あったくらいだ。)

しかし、いつ終わるともしれぬ”新しい生活様式"への不満と単車への憧れ、そして卒業生は2万円割引の魔力の前に、私は我慢できなくなっていったのだった。

さて実際バイクに乗ってみると、一時期ミッション付きの2スト原付を乗っていたこともあって初めてのバイクでも感覚を思い出すと比較的すんなりと乗ることができるようになった。教習中ころんだのは立ちごけの1回だけで、2スト時代の癖でやたら回転を上げてクラッチをつなげる以外は比較的順調に教習をこなしていく。
頭でっかちなバイク知識でもあるとないとでは違うようで、400ccのトルクの太さに感動しつつ一本橋がやや不安定な以外は特に苦戦もなく、あれよあれよと一回も教習を落とすことなく終わり、卒検も合格率50%のなか一発で受かってしまった。

陸の孤島、鴻巣へのアクセスの悪さと手続きの長さに辟易しつつも無事免許の書き換えも終わり、ピカピカの免許を指でなぞりながら、個人的でささやかな日常への反抗が完了したのだった。

飛行機とか好きな人