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禍を福に転ずるの道は食にあり

昨夜は11時過ぎに、
この本を読み終えました。

極道から相見になった水野南北の人生、
波瀾万丈で、
奇想天外です。
人相から始まって、
身体や表情、
死人の顔まで観察して、
その最後の到達点は、
慎食でした。
たとえ凶相でも慎食で、
福に変えることができると言うのです。
それ程、食の影響は大きいということです。

よしりんの話から、
南北を知って、
図書館で大活字本で読みました。
南北から、
石塚左玄、
そしてよしりんまで繋がっています。

おいしいものを食べる、
それってどういうことなんだろう?
おまけに、
小麦粉や植物油のことも、
すっかり理解してるわけでもない。
よもや、そんなことが、
という感じなのです。
今更ながら、
料理教室なんか、
(細々ですが)
やってきたこと、
人の為になってるのだろうか?

おまけに、
最近の私は、
おいしいものへの興味が減ってます。
(ご飯とおいしい漬物があれば良い)
歳をとったということかもしれません。
栄養とかも考えてません。
健康診断に行かないから、
血圧とかの数値にも関心はありません。

畑のものたちは、
迷いなく、
条件に従って、
命の方向へ進んでます。
たとえ、それが人にとって不都合でも、
法則に従って、生きてます。
今年の梅が実らなかったのも、
人は困るけれど、
梅の木にとっては最善の選択なのでしょう。

インゲンの花は咲続けてますが、
実りません。
気温が高いからでしょう。
涼しくなるまで、
生き続けてくれたら良いですが。
母の処へ行くのに、
水筒に梅酢水を入れて行きました。
ところが、
フタが開かず、
9時半から2時まで、
(出掛けて帰るまで)
水分が取れず、
往生しました。
(死ぬかと思った)
前回のことで母は機嫌が悪く、
口もきかないので、
用事を終えてすぐ帰りました。


未だご先祖様は仏壇に来てないと思い、
お墓に寄りました。
父と話しがしたいと思いました。
草があったら抜こうと思いましたが、

きれいに草むしりされてました。

お隣は未だおいででないらしく、
草の丈が高かった。

お骨を拾わないという本を読んで、
私も夫も墓が無いから、
散骨と思っていたけど、
拾わなければ、
それすら必要ないと知って、
夫に話したけれど、
ちゃんとは聞いてくれない。

父なら、
何と言うだろう?

圏央道が渋滞だったので、
帰りは一般道で帰りました。

出掛ける途中で、
釜北直売所へ寄ったのですが、
判断ミスで車の前を縁石にぶつけてしまったり、
水筒が開かなかったり、
母が不機嫌だったり、
35℃超えの中、水が無かったり、
何度も💉してる弟がレプリ根を知ってなかったり、
いちいち反応せず、
眺めようとは思うけど、
口角もあげようと思うけど、
感情もニュートラルにと思うけど、
どこを見ていよう?
なんとなく晴れない自分を、
困ったねぇと、
見ている自分がいます。

畑のキュウリの苗が活着したのを見て、
励まされてます。
一番上の写真です。

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