大切にしているからこそ、ひびは残る
先日、ふくやま美術館へ行ってきた
そこでは、期間限定の「ワレモノ」に関する展示がなされていた
この展示は、ポスターにも書いてある、ひびがはいったマグカップの「ひびひこ」と、その左に書いてある色鮮やかな「われのすけ」がお互い会話をしながらワレモノ・ひびに関して理解を深めていくというストーリーに沿ってみていくことができ、大人も子供も楽しめる仕掛けとなっていた
ストーリーの最初は、こんな問いかけから始まる
「あなたは普段使っている茶碗が割れてしまった場合、どうしますか?」
多くの人の場合、もちろん自分も、こう答えるだろう
「捨てて、新しいものに買い替える」
でも、ストーリーはこのように続く
「たしかに、粉々にくだけてしまったのならば、新しいものに取り換えるしかないでしょう。もしあなたが使っているものが、大量生産品ならそれが可能でしょう。しかし、その茶碗が、一つひとつ手作りで作られた大量生産品でない場合はどうでしょう?」
ん? そんな場合ってあまりない気が、、、
「茶碗を機械で大量生産できない時代、つまり昔では、茶碗は一つひとつ作られていました。だから、割れてしまったからといって、すぐに新しいものに取り換えることはできません。だから、割れた場所を接着したり、ひびを埋めたりして、一つの茶碗を何度も修復しながら使っていたのです」
へー。昔は、茶碗が割れたらすぐにとりかえるとかじゃなくて、一つの茶碗をなんども修繕して使ってたんだな~。
「つまり、ひびがたくさん入っていればいるほど、修繕がたくさんなされたという証であり、つまりは長い間ずっと大切につかわれていたということなのです」
!!!!!!!!
なるほどね!
自分たちは、少し欠けてしまったり壊れてしまったりしたらすぐに捨てて新しいものを買うということが日常だったから、一つのものを何度も直しながら使い続けるなんてしてほぼしないよね
だから、いつも目の前には、ひびも欠けもない完璧なものがある
対して昔は、欠けたりひびわれたりしたからってすぐに新しいものに取り換えるのではなく、ひびを埋め、欠けた部分を接着して、同じものをずっとずっと長く使っていた
だから、目の前には、ひびや欠けといった傷跡がのこっているものがある
ほうほう。。。
このストーリーを読んで、一瞬でワレモノが好きになった
そして、ワレモノに入っているひびや傷の修繕の跡を見て、その茶碗が大切にされていたんだなと深くふかく感じることができた
ひさびさにとても感動した
そこでまる。は考えた
人って、いろいろなものに、「機能」あるいは「結果」ばかり求めがちだよな
茶碗なら、お茶を汲むことができるという「機能」
カバンなら、物を詰め込み運ぶことができるという「機能」
スマホなら、連絡を取り合い、またネット検索ができるといった「機能」
そして、道具が、その「機能」を果たせなくなったとき、自分たちはいとも簡単にその道具を捨てているよな
まぁ、それが悪いとまでは思わないし、現代においては正解だと思う
そうやって捨てて新しいものにとりかえて、常に自分好みにアップデートしていくことができてしまうからね
でも、だからこそ、ものに対する、道具に対する感謝の気持ちは、今まで以上に薄くなっているのじゃないかな
「壊れたら取り換えたらいいや」
そう思って、ちょっと乱暴に扱いがちじゃないかな
どうやってら長く使っていくことができるのか
壊れた時は修理することができるのか
そういう方法を調べることもなく、ただただ道具を消費しているだけな気がする
壊れてしまったら取り換える
それは間違いではないけど、でも、だからといって、道具をただ使いつぶすのも違う気がするな~
っていうきれいごとを、考えた
そして、人に対しても
軋轢が生まれたからもう関わらない
価値観が合わないから別れる
話を聞く限り、一方的に今つながっている人を切り離す人が多いという感覚だ
もう少し、相手とうまくやっていくにはどのようなことをすればいいのか、努力の方法を模索すればいいのに
それもなしに、ただ合わないから別れるという人が多い気がする、、、
それでほんとうにいいのだろうか。。。
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