_トレ録3_23

+木苺+

きっかけは些細なことだった。兄がいつも遊びに行く裏山へシュンもその後を追っていた時、低木から黄色の丸が見えた。以前トオルが木苺を教えてくれ、それがまた美味しくて、これも木の実だろうかと喜んで手を伸ばし摘んでひっぱる。

違った、引っ張ったそれは紫の体をぐんとしならせて飛び上がり宙に弧を描いて頭をシュンに向けた。アーボと目が合った刹那、シュンは反射で手を振って離すがその反動で尻餅を着いた。地から離れた左足にアーボは絡みついてシュンに顔を近付ける。振り払おうにもシュンの力ではどうすることも出来ず、アーボの体はシュンの左足を締め上げる。物凄い力だと思った、そして自分では何も出来ないのだと実感せざるを得なかった。
こわい、いたい、だれでもいいからたすけて……

そんな古い記憶がフラッシュバックして、シュンはピシリと石の様に固まっていた。
前には同じ様に、突然現れたシュンを見て目を見開くイワーク、もといキセキのパートナー、ネルの姿があった。
お互いがお互いに驚き絶叫し、一瞬止まったかと思えば、ネルはまた大声を上げてキセキの背後に回った。頭隠して尻隠さず、と言おうにも巨大さ故にどこも隠れられてはいないが、シュンにはその様子をじっくり見ることも出来ない程余裕がなかった。

事の発端は少し前のことである───シュンは釣り大会に来ていた。
シュンにとって釣りといえば、以前家族でいかりの湖に出かけた時にマレーアと一緒に久しぶりに釣竿を握った。シュンとマレーアはのんびりと釣っていたが、その時のトオルは家族の誰よりも釣竿を上手く使ってさっさっさとコイキングを釣り上げていた。回想し終えたシュンは今回はトオルについて行くのが効率がいいだろうと考え、トオルの後ろを追っかけた。正直釣りに関しては自信が無いのである。

結果は酷いものであった、トオルは隣でコイキングやトサキントをサクサクと釣り上げているのに対し何故かシュンの釣り糸はピクリともしない。挙句トオルは「もっと色んなポケモンを釣りたい」と釣り人の様な発言を残して去っていった。
置いていかれたシュンは動かない釣り糸を引き上げて、気分転換をしよう!と半分寝ていたマゴに声を掛けて立ち上がる。そうして次のスポットを探していた時、噂の人を見た。噂……とは、ここの合宿にとても紳士的で優しい王子様のようなトレーナーがいた……と何処からかシュンの耳に入ったものである。聞いたその特徴にそっくりの彼─実際は彼女であるがそれをシュンは知らない─を見てシュンは、この合宿生活をより良いものにするためにも是非とも仲良くならなければ!と閃きすぐさま駆け寄った。

「なぁなぁ!そこのお兄さん!」

そこにはシュンの苦手とするヘビ系のポケモン、イワークがいるとも知らずに。

シュンが絶叫しその声に驚いてネルも叫んだ。大きな体から発せられるその声はビリビリと地面を震わす。

(あああああああああやだやだやだ怖い怖い怖い……)

シュンの顔は青く、その様子を見てキセキは後ろで目をつぶって小さくなっているネルをボールに戻す。

「君…もしかしてイワークが苦手かい?」

固まっていたシュンはようやくキセキに視線を動かし、不安気に見上げた。

「……う、ん、怖い…」

はっとして口を噤んだ。彼のパートナーなのに、怖いと言ってしまった。申し訳なさが居心地を悪くして、いたたまれなくなる。

「………………えっと、ごめんなさい!急に声かけて!!」

早口で言ってその場を去った。

人のパートナーを傷付けたくて嫌いになったんじゃない、自分だって嫌いになりたくなかった、でも見た瞬間怖いと思ってしまったんだ。

*****

わーきゃーと叫び声を上げ続けて終えた肝試しの後、無事花を持ち帰りリボンを貰ったシュンとトオルは久しぶりに2人で歩いていた。

「キセキの……イワークと鉢合わせしたんやって?」
「えっなんで知ってんの…?」
「さっきキセキと会ってな、話しててもしかしてと思ったら、やっぱりシュンのことやったか」
「あのお兄さんと知り合いやったんや」
「……お兄さん、キセキは女子やで」
「うっそほんまに?!めっちゃお兄さんやと思ってた……てかお兄さんって呼んじゃった」

シュンは目を丸くして少し慌ててから、後で会ったら謝ろう…と呟く。トオルも最初は男子だと勘違いしていたが、その事はシュンには黙っておこう、と静かに考えていた。

「シュンも旅に出たわけやし、そろそろイワークとか、ヘビポケモンに一々ビビらんようにならなな」
「……ビビらんように…なれたらなりたいけど……そんなんゆったってさぁ」
「野生のポケモンと遭遇した時とかどうすんの、自分で対処しなあかんねんで。それに驚かれる方の身にもなってみいや、ネル……あのイワークは人が苦手で、いきなり前に出てこられるのは向こうにとったら怖いことやから……」

シュンは黙って聞いていたが段々と胸の奥にモヤモヤしたものが溜まってきた。

「一々出る度にビビるのやめや、いつまでも子どもじゃおられんやろ」
「なんなん……」

俯いて小さく呟く。

「ん?」

頭に血が上る、次は声を張り上げて。

「なんなん?いっつも兄ちゃんってそうやってなんでも知ってますみたいな顔して偉そうに言うやん、ぼくやって怖かってんから!!」
「は?」
「そもそも子ども子どもってなんなん、そう言う自分やってさぁ言いたいこと言えんくて落ち込んだりしてるくせに!!そっちやって子どもやん」
「おまえなぁ」

トオルは声を荒げ、一歩前に出てシュンを睨み付けた。トオルのいつもの穏やかな目の色は変わり、きつく氷のように尖っている。その鋭さにシュンは怯みかけたが目の奥が熱くなるのを堪えて睨み返す。
地面に降りていたはずのイロミがバタバタと羽を羽ばたかせてトオル肩に飛び乗った、と思うやいなや顔をしかめて耳を塞いでしまう程高く鳴いた。

辺りがしん…と静かになる。
つい怒りに任せて余計な言葉まで出してしまった、と思ったがそれはもう遅く、トオルは大きくため息をついてから何も言わずにスタスタと去ってしまった。

マゴと2人でコテージに戻り、着替えて布団の中に潜り込む。ゴソゴソと何度も寝返りを打つ。落ち着かなかった。

─ いつまでも子どもじゃおられんやろ ─

でもぼくはまだ子どもやん、なんでそんなすぐ大人になることばかり言われなあかんの?

『えーードンファンになるのにマゴたんって名前付けたん?もっとかっこいい名前にしたらよかったのに』
『ちょっと子どもっぽくない?』

近所の仲良し度微妙な友達にそう言われた。

『進化とか、マゴたんが決めることやし……』

子どもっぽい……そう言われて少し恥ずかしくなった。でもそんなことを言われたって急に大人っぽい名前なんて付けられないし、「マゴ」という名前は気に入って付けた。
その時のマゴは少し申し訳ないような顔をしていて、もうそんな顔はしてほしくなくて、ただただかわいいよと言い続けた。

子どもっぽいとだめ?
進化すること、変わることばかりがいいとはぼくは思わない。

静かな部屋の中、誰も起こさないように戸を閉めた。早く起きてしまって、二度寝を決めようとしたが目が冴えていた。起き上がるとマゴも一緒に起きたので2人で散歩しようかと小声で話す。

外はまだひんやりとしていた、少し寒くて、まだ人がいない時間帯なので少し寂しい。浜辺まで来て朝日を見たらまたすぐコテージまで戻ることにした。
A10棟前を歩いていた頃、前方から見覚えのありすぎる一人と一匹が見えた。昨日言い合ったばかりなのにな……

「……ぉはよ」

合宿に来ても家と同じように鉢合わせてしまうのか、少し気まずく思いながらシュンは小さく挨拶する。

「…………ん」

一方トオルはえらく眠そうである。聞いてみれば、昨晩は眠くて本が読めなかったから早起きをしようとしたがやはり眠いので今から飲み物を買いに行こうとしてる、とのこと。トオルは夜型なので朝はかなり弱い。

「兄ちゃん、余計なこと言ってごめん」
「……ん、僕も悪かった……」

眠たげに目を擦りながら歩くトオルの後をシュンは着いて行った。

「あの子な……えっと、ネルやけどな」
「うん」
「キセキのパートナーになる前にな、ポケモンハンターに酷く傷付けられて、それがトラウマになったそうや…」
「傷つけられて…ぼくと、同じや……でも、ぼく、怖いもんは怖いよ……」
「シュンのそれもトラウマやもんな…でもちょっと割り切ってみれんかな、だってそれは過去のことやろ?次に会うポケモンも全て怖い存在かどうかはわからへんやん、最初怖くても案外そうじゃないことやってあるし」
「……あ」

脳裏に浮かんだのは合宿に来て早々に出会った黒い服の彼。

(最初は怖かったけど、今は怖くない……そういうもんなんかな)

「お互いがお互いを怖がっているなんて、ほんまは仲良くなれるのにそんなん勿体ないやん。相手への警戒心無くして歩み寄ってみれへんかな」
「うん、やってみる…な」

*****

西日が指すコテージで宝探しで手に入れた物を整理してお気に入りのカブトリュックにしまった。木の実やボールはこれからの旅で活躍してくれるだろうか、そう思うとワクワクしてきた。マゴが宝探しの間に集めていた木苺の袋をつつく。マゴも木苺の味を気に入った様子で嬉しいが、この袋は渡す相手がいる。
外が真っ暗になる前に探さないと、とシュン袋を握り締めてはマゴとコテージを飛び出した。

彼……と勘違いしていた彼女を見つけた時には辺りはすっかり暗くなっていた。というのも、彼女の髪型が変わっていたので探すのに少し苦労したのだ。

「あ、昨日の…」

昨日のボーイッシュな姿とは違う可憐なヘアチェンジを見てシュンはぱっと明るくなった。

「わーっ!かわいい!!似合ってる〜!!」
「そう……かな、友達がしてくれたんだ」
「へ〜〜〜あ、昨日はお兄さんって言っちゃってごめんな?キセキちゃん」
「いや、いいよよく間違われるし、えっと君は……」
「シュンだよ!トオルの弟!……なぁキセキちゃん、ネルちゃん……出してもらえる?ぼくネルちゃんにも謝らんと」
「え、でも苦手だと言っていなかった?」
「うん、でもぼくのことはいい、ネルちゃんが、嫌なんやったらやめるから」
「それなら、構わないよ、出てきてネル!」

ボールから溢れた光のシルエットは大きくなり、ネルが姿を現して少し伸びをする。シュンの姿を見て少し驚いた顔をしたように見えた。
怖い、まだ、シュンの心臓はドキドキと鳴っていた。

(ぼくの怖いが、ネルちゃんにも伝わらないように…)

マゴがシュンより前に出てネルに挨拶をした、ネルが頭を下げる。
大丈夫、行ける。
シュンは深呼吸をして、握っていた袋を差し出した。

「き、昨日は……ごめんなさい!!!驚いて大きな声だして、びっくりさせちゃって……これあげる!!あ、えっと、木苺!ぼくの大好きな木の実でな!ちっちゃくて、ネルちゃんやったらすぐなくなっちゃいそうやからマゴたんといっぱい集めてん、よかったら食べて!キセキちゃんと!」

ここに来るまでに用意していたセリフは順番が変わってしまったけれど、言いたいことは言えた。

ぐうぅ……とネルは控えめに喉を鳴らす。そっと口を開いて、シュンが持っていた袋を優しく摘んだ。それは恐る恐る、木の実を摘み取るよりも優しく。見上げたネルの表情は少し微笑んでいる様に見えた。

シュンの心臓の音はいつの間にか穏やかなものになっていた。

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