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オタク同士の地雷を気にして、自分の言語能力を殺した。

"誰かの萌えは誰かの地雷"
その言葉を聞いたのはもう何年前のことだろう?
当時オタク真っ只中にいて同人サークルをやっていた私は、常々周りでかわされる「あれが地雷」「公式が地雷」みたいな嘆きをよく耳にしていた。当然自分の中にも、目にするだけで怒りに震えるような地雷も存在していた。私も誰かの地雷をふまないようにいきていかねばなるまい、と決めた。
しかしそれは生半可なことではなく、話をしながら気をつけていくことはとても難しかった。
なので私は一番単純な「沈黙」を選んだ。自分の感性が誰かの地雷になるなら、自分の感性から出てくる言葉を相手に届けなければいい。
私は作品の背景を想像することが好きないわゆる「考察」系のオタクだった。時系列を作ったりするのも好きだったし、描かれていないけどこのキャラはこのときこんなことをしていたかもしれない、と想像するのが好きだった。
おわかりの通り一番地雷を踏みやすい作品の愛で方のひとつだ。なのでこれをゼロにしたかったが、私の熱の放出の仕方でもあったため、ここから削減していくことはかなり難しかった。
なので、始められそうなものから手を付けることにした。
手始めに、人に送っていた新刊の感想文をやめた。感想を一言も言わなければ、相手の機嫌を損ねることもない。(損ねていたかどうかは知らない)
アニメのリアタイ感想もやめた。解釈違いに苦しませないように。
買ったゲームの感想もやめた。買った人たちで群れている様子を不快に思われたくなかった。
時間はかかったけどだんだんうまくできるようになり、「○○さんの新刊買えて幸せ~」「秋アニメ観た」「ゲーム買った」と最低限の報告をするにとどめた。
以前はほぼ毎日書いていた考察系のツイートや文章も書かなくなったし、書かないことへのストレスもなくなった。
改革は成功した。本気で自分を誇っていた。

しかし数年が経った今、ひさしぶりに感想を文章に残したいと思う出来事があった。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズが完結したのだ。
エヴァは自分の骨子である作品だ。絶対に今の気持ちを残しておきたい、久々にツイートしよう!と思い、私はツイートを投稿した。

「シンエヴァ観てきた~」

3時間位粘ってもそれしか言葉が浮かばなかった。
じゃあnoteに…と思ってnoteを開いた。
ところがこっちでも一文字も書けなかった。
シンエヴァでは気負いすぎて言葉が浮かばないのかもしれないと思い、他の作品を見たときの感想を書いてみようとした。でもやっぱりだめだった。
おもしろかった、つまらなかった、共感した、それくらいの一言感想しか出てこなかった。無理やり文章を起こしてみても、最後には「地雷」の二文字がのしかかってきて、書いた文章を消した。


私は地雷を踏むことを気にし、言語能力を磨くのではなく、言語能力を失うことを選んだのだと、事ここに至ってようやく気がついた。
そして振り返ってみれば、言葉が出てこないのは何も作品の感想だけではなかった。私は数年で、自分の気持ちや考えを言葉にすることがかなり難しい人間になっていた。自分が何をしたくて何をしたくないのか、わからないなと悩むことが多々あった。

自分の考えや気持ちを言葉にすることはやめてはいけなかった。言葉にすることをやめると、どんどんすべてが曖昧になっていく。曖昧になると、人間は悪い方向に転ぶほうが楽なので、どんどんコンコロと悪い方向にころんでいく。そして、気がついたときには死にそうなほどストレスを抱えている。立ち止まれば転げ落ちずに済んだはずの坂道だったかもしれないのに。



ということで、今は地雷を気にすることをやめた――というわけではなく、場所を変えて自分の気持を言葉にしていくようにした。
私は私を知る人の機嫌を損ねるのが嫌なので、Twitterでは今までどおり「おもしろかった~」「観た~」「買った~」スタイルでいいことにした。その代わり、読んだ本の感想は読書メーターで書くように心がけ、対面で「どうだった?」と聞かれたときだけはちゃんと話すよう心がけた。(LINEスタンプにできそうな定型文じゃなく、ちゃんと自分の感じたことや考えを)
まだ感想はうまく言葉にできないけど、以前よりは少しずつ言葉が出てくるようになった。


それに、振り返ってみると、私が気にしていた「他人の作品解釈的な地雷を踏まないこと」は、それほど素晴らしいことでもなかった。
地雷を踏まないという理由で私がその人から愛されるわけではなかったからだ。もし地雷を踏まないだけで愛されるなら、私は友達から引っ張りだこの存在になっていてもおかしくないはずだ。でも私の人付き合いは変わらず…というか、むしろ変に口をつぐむことにいっぱいいっぱいになっていたお陰で疲弊し、人付き合いを薄くしていった結果、付き合う友達の人数はむしろ減った。
何も言わなければいがみ合うこともないけど、当然ながら通じ合うこともなかった。

人間である以上、言葉を使って表現することをやめてはいけなかった。その削減は自分の心を削って減らす行為にほかならなかった。
そして、それを他人に伝えることもやめてはいけなかった。どうやって伝えるかを考え続けることが研鑽であって、一切伝えないということはただの怠慢だった。



私がアニメや漫画や映画を好きでいる以上、この先また他人の地雷を踏むことも出てくるだろう。もちろん、何かの作品の話をするときには、極力その人が嫌いな話題には触れないように気をつけていきたい。
だけど、自分の感想を捨てる、ということはもう二度としないようにしたい。

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