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認めると受け入れるの違い(不食の場合)

こんにちは!
お気楽不食者CHIKOTOです♪

昨日は私の不食について
干渉しないで受け入れてくれる友達について書きました。

自分を受け入れてくれる人との交流は心が軽く温かくなります。

反対に拒絶や批判をされると
心が重く疲弊します。


不食がもたらす人間関係

まず 【不食】という
かなりマイノリティな事を始めてから知人たちとの関係はかなり二極化されました。(ポジティブな意味で)

①自分の常識に当てはめて不食を全否定する人
常識とは
※人は食べないと死んでしまう

②自分の常識外ではあるが話を聞いて「そ〜なんだ〜!自分には無理だけど凄いね〜」と受け入れてくれる人

人を認め無い人

★プライドが高い
★自分に自信がない
★自己肯定感が低い
★人を批判する

人から(特に親)から認めて(受け入れて)貰えなかった人は
自分自身を認められず自信がなく自己肯定感が低い

だから
自分を正当化 人より優位に立つため
自分と違う生き方を認めない。
だって認めてしまったら
今まで我慢して耐えてきた事が
なんだったの?ってなりますから。

そして自分がやりたかった事を色々と我慢してきたから
違う生き方に対し
いわゆる嫉妬も含んでるわけで...

自分は今まで我慢 努力 忍耐で頑張ってきたのに
自分と違う生き方の人を認めるわけには断じてwいかないんです。
認め無いだけならまだ良いですが攻撃してくる強者もいます(苦笑)

だって今までの自分を否定することになってしまうから...涙


でも 

「認める」「受け入れる」って従う事じゃ無いんです。

『あ〜そういう考えもあるのね!』(自分は違うけどw)

『そういう人もいるんだ!』(私はしないけど)

そのくらいの距離感で良いんです。

何も
自分が否定されたわけでも
「間違っている!」
「お前の負けだ!!」って言われてるわけでは無いんです。
ましてや こちらのに従え!とも言っていない。


出会った一枚の葉書


息子が中学生の時出会った一枚の葉書


褒め愛
認め愛
許し愛
助け愛
喜び愛
ほほ笑み愛

この言葉を聞いて...

自分と違う
ひとりの人間である息子を
自分は思い通りにしようとしていた!
恐ろしい自分に気づきました。

全ては愛

愛を与えて貰えなかった人(受け入れて貰えなかった)は
いつまでも枯渇して
欲しがり(奪い)続けます。

でも枯渇して奪うループからは抜け出す事はできるんです。

親を恨んだり
生まれや育ち、環境のせいにしていても枯渇感は止みません。

どうかこの言葉
どこかにメモして(スマホに入れて)何かあったら見て欲しい。

私もたったこの一枚の葉書で
救われ変われました。

自分とそぐわない意見や現象が現れた時
批判や否定の感情が生まれたら

『認め愛』
『許し愛』
と心で唱えてみてください❤️

きっと心の中の
愛の泉が湧き出てくるのを感じるはずです。

自分が癒され愛に包まれた証拠です。

人は
人からどんなに
認められても
褒められても
愛されても
満足しません。

自分自身の愛の泉から
湧き出る愛でしか
満たされないのです。

どうかこの言葉
思い出して見てください。

人を認め許した時
自分を認め許せ満ちるのです。

不食はただのツール

私が突然不食になったのも
不食というツールで
愛を知るため。

ツールは別になんでも良いんです♪
例えば病気、スポーツ、離婚....

それぞれの個別ツールで
この地球🌏は
「愛そのもの」
「想い(波動)が現実を作る」と知る(経験する)ためのツールにしか過ぎない。

そう感じています。



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食からの解放
不食とは囚われない自由な生き方




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