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#ブックカバーチャレンジ その3

固いおとうふ 中島らも
(1997年 双葉社)
就職したラジオ制作会社メディアサウンズで
「THE VOICE」という帯の5分番組に駆り出された。
この番組は話題の人が毎回一人喋りで出てくる、
簡単にいうと新聞の「ひと」欄のようなもの。
入ったばかりで訳も分からないまま、いろんな人に取材した。*1
そんな1997年9月24日に*2
中島らもさんにCDとお芝居のプロモーションでコメントをもらった。
場所は、TOKYO FM8F,改装前の5st。
今とは反対に皇居側にあったブースの中、DATを回して取材した。
あのボソボソとした口調でボツリボツリと語っていただいた後、
当時最新刊だったこの本にサインをしてもらったのです。
中島らもを知ったのは90年代、関東でも関西ローカルのテレビ番組がちらほらと
放送されるようになってきた。
「パペポTV」や「らくごのご」、「現代用語の基礎体力」                        「ムイミダス」など。
まだナイトスクープは東京で放送されていなかったけど、*3
その延長で、中島らもの世界にハマっていったんだろう。
らもさんの文章は当時、何をやっても上手くいかなった無職の体にジンジンと沁みた。
中でも印象に残っていて、今でも記憶しているのは
エッセイ集「愛をひっかけるための釘」に出てくる
「サヨナラにサヨナラ」のこのフレーズ:

「だから肝心なのは、想う相手をいつでも腕の中に抱きしめていることだ。ぴたりと寄り添って、
 完全に同じ瞬間を一緒に生きていくことだ。二本の腕はそのためにあるのであって、
 決して遠くからサヨナラの手をふる為にあるのではない」

中島らもを読むと、タバコばっかり吸っていた二十代の灰色の風景を思い出す。

*1 たくさん取材した中で印象に残っているのはあと二人。
 1人は高峰秀子さんで、指定されたホテルオークラのロビーで収録した。
  高峰さんはお一人でふらっといらっしゃった。
  その時はエッセイ集の発売ということで取材した
  あらかじめ喋ることを原稿用紙に書いてきて、あの口調で淡々と読み上げる。
  そして全部読んだ後、はい、あげるといって僕にその原稿用紙をくれたのだった。
  今も持っています。お宝です。
  もう一人は「暮らしの手帖」社長の大橋鎭子さん。
  のちの朝ドラ「とと姉ちゃん」のモデル(ドラマでは高畑充希が演じた)となった方です。
  取材した当時は70代後半で、最初はかなり怖い感じだったのだが、取材しているうちにご機嫌が麗しくなり、
  突然「気に入った!会社を案内する!」といって編集部を案内&紹介された、
  なんだか不思議な思い出があります。

*2 1999年に発売された「さかだち日記」に日付が記録されている。読むと日々このような取材で
  かなり疲弊していたようです。
  その時、らもさんに、「最近、面白い音楽ありますか」と聞かれて、
  その時聞いていたアタリ・ティーンエイジ・ライオットの話をしたら
  はあ、というぼんやりとした返事をもらったことを思い出す。

*3 今日、ライターの吉村智樹さんのTwitterで懐かしの「ネーポン」のYOUTUBEが上がっていた。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=75&v=svRhLhz7GJg&feature=emb_logo
「アジア・コーヒ」も中島らものエッセイで知ったお店です。

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