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Let`s Journey
〈身軽になろう〉
SNSに流れてきた一文を読んで考えた。無駄を省く効用について述べていた。旅人は余計なものを持たないという。大きなスーツケースを引いた観光客を日常的に見かけるようになったが、ひとまずおこう。ここでは物語に出てくるようなトラベラーを連想したい。彼らはたいてい荷物が少ない。そしてフットワークが軽い。難所も知恵と工夫で越えていく。
翻ってわが身である。初夏に一大決心で部屋の大片づけを
量産型なんてまっぴらさ
夕方のニュースで耳にした。「ゆっくり・のんびり」を「まったり」、「しっかり、たくさん」を「がっつり」と表現することに「気にならない」と回答した人々が8割余りにのぼるという。
一方、本を読まないとする層は6割余りになって、ほぼ3人に2人は読書をしない傾向にあるらしい。
ここから見えてくるのは言葉を主体的に選び取るというのではなく、多数が使っているように映るから自分も用いるという現状追認のメカニズ
Auld Lang Syneの思い出に
夏が去ろうとしている。連日の猛暑日、惜しむ気はまったく起きてこない。あまりの暑さに、夕涼みという習慣さえ過去のものになろうとしている。もはやエアコンだけが頼みである。夏の風情はかげろうの向こうに消えたのか。
懐かしい夏にせめて別れの歌を捧げたい。別れの歌というと「蛍の光」である。かつては卒業式の歌としか認識していなかったが、今はそれだけではなくなっている。
大学生の時に、新宿のミニシアターで
リアルに生きるとは、こういうことさ
生のリアルさ。それがひりひりと伝わってくる読書体験だった。本物のスターたちの営みを前にすると、よくSNSなどで目の当たりにするリア充合戦に明け暮れる行為が馬鹿馬鹿しく思えてくる。
生きることは泥くさくて、時にそんなにきれいではない。難所をいとわず歩き続けたからこそ、その道は黄金の街道になった。近道や成功テンプレートなどを求める発想自体がない。貧乏のどん底で笑うような、そういう本物のロックスターた
あおり運転をするものは
早朝あおり運転を受けた。距離にして1キロくらいか。中央線はオレンジ色の県道で。田畑の多い田舎道で。車間を十分にとらないで運転するものもいるが、このものはぐいぐいと後ろから押すような運転である。まるでぶつからんばかりに。
腹がたってきたので私は速度を落とした。ルームミラーで確認すると、あおりの張本人は片腕を頭の上にあげて軽薄そうな姿である。片手運転でずっとあおってくる。やがて赤信号にさしかかり車を