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あおり運転をするものは
早朝あおり運転を受けた。距離にして1キロくらいか。中央線はオレンジ色の県道で。田畑の多い田舎道で。車間を十分にとらないで運転するものもいるが、このものはぐいぐいと後ろから押すような運転である。まるでぶつからんばかりに。
腹がたってきたので私は速度を落とした。ルームミラーで確認すると、あおりの張本人は片腕を頭の上にあげて軽薄そうな姿である。片手運転でずっとあおってくる。やがて赤信号にさしかかり車を
そしてだれもいなくなった
社長業を卒業してビジネスオーナーになるのは悪くはない。理想的である。
しかも会社の規模に限らずそれが可能になりそうである。AIを駆使してシステム構築が出来れば社長が出社しなくても会社は回るようになると想像がつくし、それはすぐそこまで来ている気がする。
意識高い系のみんなが大好きなテンプレで会社が動くようにしてしまえば、あとはバカンス……とな。
しだいに社長だけでなく社員もいなくなり、バカンス
今ここに、PERFECT DAYS
役所広司演ずる清掃員の平山が銀塩カメラを構える。ファインダーの向こうに木々の葉が揺れていた。
朝は道の落ち葉を掃く老婦人の箒の音で起きる。いつも同じ時間に近所を掃除する人が、街のトイレ清掃人である平山の朝にかかわっている。誰かのルーティンが別の誰かのルーティンとつながる。決して自己完結しているわけではない。淡々とした日常を、静かにカメラが追う。
スクリーンに映る東京は表面的に平和そうに見えるが
史実のブッダとは 下
ブッダ像から現代的な価値観、つまりそうであってほしいという願望を省く試みが本書である。
ブッダが生きた2500年前は今よりも、人の命はずっと軽かった。男女平等などは言わずもがなである。
本書を読みすすむうちにブッダから余計な装飾がはがれていった。リアルに当時のインドがブッダとともに脳裏によみがえる。
本書の狙いはリアルな全智者ブッダを浮かび上がらせることにある。
ブッダがいくつかの問いに沈
あんなに一緒だったのに
不完全でも自由な世界を望む。私にはそれがキラ・ヤマトの選択だったと思える。
正直、人は分相応に生きていくほうが楽かもしれない。人並みに肩を並べて大きく違わずに。それこそデスティニー計画に乗るほうが「平和」は近いのかもしれない。
それでも人は、
悩んでも、苦しんでも、届かなくても、あきらめず、魂の突貫を繰り返す。
人の歴史は今日までそれを重ねてきた。
そうつい最近もあったではないか。チープ
史実のブッダとは 上
正直、そこそこの衝撃を受けている。人口に膾炙した男女平等を標榜し、身分差別を否定したブッダは神話の部分が強いとしている。
本書は現代の価値観からブッダをある意味都合よく解釈してきた部分があると説く。それを史実のブッダと対比して「神話のブッダ」としている。
私には仏教学の碩学、中村元の訳した『スッタニパータ』に救われた経験がある。作者によると中村が大成した仏教学は「神話のブッダ」を完全にはなれた
ネイビーのゴブレット
”この杯を受けてくれ
どうぞなみなみ注がしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
「さよなら」だけが人生だ”
ダイソーでいい感じのゴブレットを購入。ちなみに100円ではない。
井伏鱒二の詩が真っ先に浮かぶ。
次に浮かんだのは「Auld Lang Syne」。「蛍の光」の原曲である。
酒にまつわるが、ひとつは別れの歌がもうひとつは再会の歌が想起された。