受け取る為に生まれてきた?説
なんか、、すごくこっぱずかしいこと書きます。
なんとなく。
今年のテーマである、パートナシップとか、広い意味での受け取りについて(お金とか、愛とか)考えていたら、ふっと降りてきまして。
なんかこういうこと言うとスピリチュアルっぽいんですけど。
あ、スピリチュアル好きだからいいんですけど。
始まりは今年入った、内観のグループワーク会からの流れ。
今までの人生、いつもお金がない~とか、家庭環境が悪かったとか、
夫が私のことわかってくれないとか、自分には何の才能もないとか。
そういう風にずーーーーーっと思っていたけど(今も自信は無いけど)、
実は愛されてたとか、助けられてたとか、そこそこたくさん、
普通に持ってるってことに、気づきました(気づいて腑に落ちつつある、という感じです)。
”愛情を試す”って、言い方悪いけど、”私はこんな人間でも愛される”を確認するのために生まれてきた?と、ふと思いました。
「前世で何かあったのか??オレ!!」と思っちゃうんですけど、
全然わかりません。
でも、才能が無くても大丈夫。アホでも大丈夫。浪費家で片付けられない人でも大丈夫。乳がんで胸が無くても大丈夫。クソ人間でも大丈夫。
こんな人間でも大丈夫!生きてていい!愛されてていい!
それを「受け取れ!」
少しづつ腑に落として、受け取っていきなさい。
そして自分を満たしていきなさい。そうすれば~~~~
なんちゃらかんちゃら。。。。
お告げか!
。。いや、ね?”自分を満たす”って言うでしょ?人にやってもらうんじゃなくて、自分でやるんだよ!ってね。それね、出来ないんすよ。
こんなことやってもしょうがいないとか、罪悪感持ったりして、
自分でザルに水入れてる感じなんすよ。目の粗いザルね。
だから最初は、すんごい信頼してる人に手伝ってもらうんですよ。
ひたすら「大丈夫!このままでいいんだよ。そのままのあなたがいいんだよ。馬鹿だね~でもそこが面白いよ。そんなあなたでも好きだよ」
って何度も繰り返し言ってもらうんです。
そういう人を一人ずつ、増やして助けてもらう。ザルの補強。
するとだんだん、ザルの目が細かくなってきます。
「あれ?このままでいいのかな?」って幸せな勘違い人間になってきます。
すると!!ザルがボウルになってきます!!
だんだん自分でも、水を入れれるようになる。んで、
あふれた水を人にあげれるようになっていく。
その大きさは人それぞれだと思いますが。素材も形も。
そのままの自分を出す。本音で生きる。傷つくけど、補強しながらやる。
でも、そうやって、受け取っていけるようになる。
私もまだ確認しつつ、助けてもらいつつです。
いつか丈夫なバケツになれるのか? つづく!?