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ご無沙汰しています

匤成です。こんにちは。前回の投稿からかなりの時間が経ってしまいました。元気にしています。

年末年始に忙しかったのもありますが、文学などと言っていられない世界情勢の中で、発信すべき情報など持っていなかったからです。販売に対する見方が解らなくなってしまい、noteを毎日続ける意味がふと消えてしまったのです。

とはいえ僕自身としては、さらにインターネット(リモート化)が進む中で、今こそ創作の時代だと思っています。

様々なところから情報が入ってくるので『役立つ情報が最重要視』されています。でも、文学は作る側ならまだしも、読む側は感染症をはじめとして、生活に対処するのに精一杯。だからフォロワー1人ひとりがしっかり読んでくれているとは思わないほうが気楽です。情報過多の時代、みんな余裕が無いからです。

僕も記事を書くことによってサポートが得られると信じていました。でも情報系の記事は役立つけれど、一過性のものだし、記事を読んだ人はブログを見たということ自体に満足して終わってしまうことが多いです。

何かを残すとしたら物語が一番良いと思います。

全てのものがコンテンツになるし、世界中が大変な事態になっていますが、教訓にするには“データと物語”が有効ではないでしょうか。どんな問題があり、どのように対処したか、どんな生き方をしたかは、今生きている人が記して、語り継いでゆく。それが歴史になり、ドエトフスキーや太宰治、ミヒャエル・エンデのように時代を問わない名作が生まれる。

変わる本の価値

今までは、物語の世界を作れば、誰かが読んでくれてリアクションがあったり、アクセス数が増える、書籍化になるという希望がありました。でも僕はすでに書籍化には、もはや大した意味は無いと感じています。誰もが電子書籍を販売できるようになり、独特な作家のセンスや漫画家の発想力もよほど売れない限りは注目されていません。

分かりづらい文章は個性とではなく批判の対象となり、みんな期待しているような展開はつまらないと見做されています。娯楽と言いつつ、読者の望む快感を提供しているだけの産業になってきているのではないでしょうか?

それなのに、創作者には明確なメッセージ性を要求され、目的をはっきりさせないとその文章、小説やブログ、その他の全てで収益化にはつながりません。

ネットビジネスに懐疑的な家族

先月、お休みしていたのは家族が私のネットビジネスに対して懐疑的、つまりあまり良い見方をしていないと言うところがあります。私の口座にお金が入ってくること、そしていくらかでもお金が出ていくこと。家族にとってこれが1番心配な種になったようです。

今のところ、妙な出金もないために安定していますが、私が声で匤成として活動していることも本当は嫌がっています。それは、パソコンの前に座りすぎて私が体調を崩してしまうことを心配してなのですが、やはり最近ではネットでの詐欺(フィッシング)事件も起きていますので、余計に心配になるんです。

それで先日は、ほとんど記事を投稿しませんでした。今、このようにして記事を書いていられるのは、家族が外出しているからです。でも、詩歌を集めましょうマガジンもあることですし、退会するつもりはありませんのでご安心ください。

noteをどう見るか

ブログや記事を書いたりすることは収益化につながるんですが、一方でSNSとも取れます。純粋なお仕事サイトであれば家族はもっと安心したのでしょうが、どんな人が利用しているかもわからないSNSだと思うと、その気持ちもわかります。

サークルについては、かさ増しさんには申し訳ないと思うのですが、サークルとして何もできませんでした。必要ないと思われたら、サークルを退部もらっても構いません。

私が記事を書いて、詩や小説を発信することはあまりなくなるかもしれません。でも読む側には回って、皆さんの記事を読むことができると思います。

今後は、そのような仕方でnoteに携わっていきたいと思います。たまには詩や読書感想文を投稿することがあるかもしれません。

まずはご挨拶まで。匤成でした。


良ければサポートをお願いします。次回の紹介作品の購入や、今後の創作活動に活用させて頂きます。