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その数分前ボイス

数分前とはどういう状況なのか。えま様の芝居で分からされる物語と人物像に圧倒される。

以下、ネタバレを含みます。苦手な方はご注意下さい。

演技力向上委員会


その数分前ボイス


もしかしたら助かるかもしれないが、これ程痛み苦しんでいる人はもう数分後には事切れる人なのだと脳が理解してしまうほど熱量のこもった芝居に胸が熱くなりました。

苦痛に歪む表情が声色と呼吸、芝居から映像として脳裏に浮かんで体の痛みや心の痛み、ありとあらゆる痛み、痛覚、生きたいという叫びが視聴しているこちら側に伝わって息を呑みながら視聴していました。

何故痛いのか。演じ手は体の痛みを演じ、〝俺〟という人物は痛みの正体を探している。その混乱がとてもリアルで序盤から人物像を想像しやすく物語と〝俺〟に感情移入しながら聴く事が出来ました。とてもよきでした。

痛ければ何が出来て何が出来ないのか。文字では無い台詞の内側にある心の動きや体の動作が視聴する側に伝わってくる。たった数秒の芝居で、息つく暇を与えさせない目を耳を離させない。胸ぐらを掴まれた思いです。

〝思考が研ぎ澄まされて冷静になっていく〟の後にある呼吸が堪らなくとても好きです。研ぎ澄まされる感覚が波紋のように静かに折り重なるように広がってこちら側に伝わってくる。

最後の台詞、最後の瞬間は死というものを痛みに対する苦痛と形容し難い死への恐怖が溢れて、自分自身に抗いながら葛藤し息絶えるであろう人物の数分前が確かに此処に存在していました。

終わりに


痛覚とはこんなにも多彩な色を放つのだと分からされて、えま様の芝居にとても惹かれる思いでした。演劇ステージのトランプ兵で感じた〝演じる瞬発力と思い切りの良さ〟に加えて、今回は物語を伝えるための人物像の描き方、理解力に圧倒されました。

えま様の演じる〝誰か〟をもっと観たい聴きたいです。企画参加、ありがとう御座いました。

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