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ギデオン協会のこと〜心の渇きを癒す言葉〜

日常生活に追われる中、ふっと出来た空白の時間。
何気なくスマホを手に取って、色々なサイトに目を通す。
SNSを見れば、綺麗に整えられた写真に映る物や言葉についつい目を奪われて、時間がいつの間にか過ぎていく。
そんな時、自分が何を求めているのかが全くわからなくなってしまう。

「これがあれば」、「ここに行けば」、「こんな生き方をすれば」
もっと自分が幸せになれるのかもしれないと。
そんな漠然とした思いが、止め処なく浮かび、そして消えていく。

結局、ただ自分の心が渇くだけで何も満たされない。

そんな時、ふと開いた小説の一節が、無性に心に刺さることがある。
人生を鋭く見つめ、「どのように生きればよいのか」を問い続けている作者が紡ぎ出す言葉。

決して生きることは簡単なことではないということ。
何が幸せかを、人は簡単に見失うということ。

あれが欲しいこれが欲しいと浮ついた心に
そんなことを教えてくれる。

鋭い言葉が、処方箋のように自分の心を癒してくれるのは
その言葉の中に真実があり、そして作者の根底に、人に対する愛があるからなのだ、と思う。


先日、日本国際ギデオン協会の集まりに、夫に連れられて参加した。
ギデオン協会といえば、聖書を配布しているということで知られている。
ホテルや学校で、聖書が置かれているのを見かけられた方も多いのではないだろうか。
それらの聖書には小さく「ギデオン協会贈呈」と書かれている。

その日は、ギデオン協会の働きを伝える目的で、一般の人々に開かれた集まりだった。
場所は青山学院のアイビーホール。
ギデオン協会の会員の方々も含め、40名ほどが参加されていた。

ギデオン協会の沿革から始まり、働きの目的、そして会はギデオン協会員の証(あかし)に及んだ。

その時聞いた、スギヤマさんという方の話がとても心に残るものだったので紹介したい。

スギヤマさんはある時牧師のメッセージを通して、自分に挑戦を受けることがあったそうだ。
その挑戦とは
『クリスチャンなら、常にカバンの中に聖書を入れておく』
というものだった。

それから、スギヤマさんはギデオン協会に入会した。
ギデオン協会員になると、聖書を安く購入することができる。
(この時私は初めて知ったのだが、安く聖書を購入できるのであって、決して無料ではない。安いもので1冊140円だそうだ)

スギヤマさんはその聖書を、自分の知り合いや周りの人々に配るようになった。
お金を払えば、特に制限はなく聖書が手に入る。
初めは月に10冊程度だったのが、配る冊数は、月を増すごとにどんどん増えていった。

スギヤマさんを知る人は、彼のことをこのように話していた。
『いつ見ても、大きなカバンに大量の聖書を入れて持ち歩いている』と。

今ではひと月に500冊程の聖書を配っているそうだ。

その日もスギヤマさんは、会場の青山学院に来る前に、道行く人に聖書を手渡していたそうだ。
決してキリスト教に入信を勧めるのでもなく、ただ、「この本を読んでみてください」と見知らぬ人に声をかける。
一旦受け取られても、しばらくして道に捨てられた聖書を見かけることもあるそうだ。

夫曰く、スギヤマさんは、見ず知らずの人に声をかけるようなタイプには一見思えないような、寡黙な方だそうだ。

しかしスギヤマさんは、この働きに喜びを見出し、
自分で働いて得たお金で聖書を買い、ひたむきに聖書を配り続けていた。


スギヤマさんの話を聞き、「このような生き方があるのか」と、私たち夫婦は衝撃を受けた。

そして、尊い生き方だと思った。


小説の一節が、心に深く刺さることがある。
自分の人生を問い直し、何が幸せであるのかということをヒントを与えてくれることがある。
真実な言葉によって、心の渇きが癒されることがある。

ましてや、それが、真理の言葉であったら…


『わたしが命のパンである。
わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、
わたしを信じる者は決して渇くことがない』


イエス・キリストはこのように語っている。
どんなに深い渇きであっても、イエス・キリストは潤し、癒すことができると。

このイエス・キリストを知ってほしいと願いを込めて
今日もどこかで聖書が配られている。

もしかすると、どこかで貰った聖書がそのまま本棚で眠っている人もいるかもしれない。
そんな聖書が、必要な時に開かれ、
その人に必要な言葉が届けられるようにと願うのである。


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