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京都芸術センターの「表」岡﨑乾二郎について

古谷利裕

*以下のテキストは、2001年10~11月に京都芸術センターでおこなわれた、岡﨑乾二郎×岡田修三展の岡﨑作品について書いたもので、同年に「批評空間Web CRITIQUE」に発表されました。
岡﨑乾二郎の公式ホームページで、この時の展示写真が観られます。
https://kenjirookazaki.com/jpn/exhibition/2001-002


身体性の切断

 画家が自らの身体を用いて作品を制作する時、その制作された絵画は画家の身体性の刻印が強く刻まれたものになるだろう。単純に「手癖」とか「利き腕」によるストロークの特徴や、身体のサイズとカンバスのサイズの関係などから、もっと抽象的な身体感覚のようなものまで、作品には画家の身体が様々な様相で貼り付けられ、織り込まれている。それは、ペインタリーな絵画がたんなる「視覚性」を超えたところで人を引き付け、その情動を深い部分で揺さぶる大きな要因のひとつとも言える。しかし岡﨑氏はまずそれを切断しようとする。

 おそらく岡﨑氏の絵画にみられる形態の多くは手によって描かれたものではなく、型紙のようなものをつかって、ペクッと絵具を画面に貼りつけるようにして描かれたものだと思われる。ここからマティスの貼り絵などを連想するのだが、このようなやり方で描かれた形態は、手で描かれたものとは全く異なるエッジの立ち方、とてもクールなエッジになる(例えるなら、スパッと立ち上がってスパッと途切れる、サンプリングされた音のようなエッジ)。
それによって岡﨑氏は、身体と画面との自然な繋がりを断ち切る。さらに、手で描く形態はどうしても画面の大きさのなかでバランスをとるような形態になってしまうのだが、型紙の使用によって、あらかじめ「画面全体」を想定する(特定のフレームを前提とする)ことなく「それ自身で独立してある形態(つまり、フレームから自由な形態)」の反復や変奏として制作をすすめることが可能になる。

 これはとても大きなことで、絵を描く画家は、どうしても最初からそのフレームが見えてしまっている(特定の大きさのカンバスを目の前にしている)ことから、フレームとのバランスによって視覚的な配置を行うような目的論的な制作にしばしは陥ってしまうのだから(例えば、非常にデリケートな色彩の操作をするロスコの、しかし図像的な単調さは、このことからきていると思う)。描く時にフレームが前提とされないということは、それを観る時も、フレームを安定した拠り所にすることは出来ない、ということなのだ(例えば岡崎氏の作品では、複数のパネルの間を、同一の形態が行き来している)。
型紙の使用によって、同一形態の、異なる色彩、異なるテクスチャーでの対位法的な配置が可能になる訳だが、実はそれよりも、手で描かれた形態=色面は身体の関与性だけでなく、いつかから塗り始められいつかに塗り終えられたという「時間」をも感じさせるのだが、型紙によってペタッと貼りつけられたような形態は、まるでそこにパッと出現したみたいで、時間をあまり感じさせず、このことが岡﨑氏の絵画に独特の速度感、いわば「速度が無いことによる速さ」とも言うような抽象的な速度感を産み出している、ということの方が重要だろう。

 実際に作品を制作するには勿論時間がかかるのだが、それでも岡﨑氏の絵画は一瞬にしてパッと出現したように見えもするのだ。だが、さらにしかしをつけ加えれば、一瞬にして出現したかのように見えるその絵画を、一瞬にして知覚することは出来なくて、それを実際に読み込んでゆくにはとても時間がかかるような複雑な多様態でもある。

タイトルと作品の構造

 岡﨑氏の絵画作品の構造は、そのタイトルによってある程度は示されている。例えば、今回展示されている作品中で最もシンプルなタイトルは、次の3つの文によって構成されている。
『(A)2~3日中に、お返事をうかがえますか。(B)折り返し電話を下さいといって下さい。(C)というのも子供のときは、友達に電話なんてかけませんでしたから。』

 この3つの文は、普通の意味では「意味」が繋がらない。(A)と(B)とは、普通に意味が繋がるように思えるのだが、(B)から(C)への移行は「というのも」によって接続されているとはいえ、滑らかなものではない。
しかし、「意味」という次元ではスムースに繋がらないとしても、(B)と(C)とは、ともに文中に「電話」という単語を含んでいるという共通点をもっている、という事では、確かに繋がっているのだ。

 つまり、この3つの文はとりあえずは繋がってはいるのだが、(A)と(B)との繋がりを保障する「意味」の地盤と、(B)と(C)との繋がりを保障する「意味」の地盤とは異なってしまっているのだ。だからこの3つの文をつづけて読んでゆくときに読む者が経験するのは、3つの文の連なりが表現しようとする「意味」の内容ではなくて、「意味」を成立させている「地盤」がぐらつき、ズルズルッ横滑りしてしまうという「感覚」なのだ。

 そしてそのような地盤の横滑りを経験してしまうと、最初はスムースに意味によって繋がっているように思えた(A)と(B)との繋がりも、実はそれほど自明なものではないということが判明し、そうなると今度は3つの文がそれぞれバラバラで繋がりのないもののようにも思えてくるのだ。

 つまり、(A)と(B)という二つの文を結びつけ、(B)と(C)という二つの文を結びつけているのは、予めその文に内在されている意味によってではなくて、たまたま並んでいるに過ぎない3つの文を、ひとつづきのものとして読み込もうとする、読む者の「読む」という能動的な行為によるのだ。

 岡﨑氏の絵画作品の、物理的には同一平面であるような場所(つまりカンバスの表面)に、全くの無秩序のようにも、厳密な秩序をもっているようにも見えるやりかたで飛び散っている、型紙によって刳り貫かれたような無数の色斑たちは、簡単に言ってしまえば、上記のタイトルに含まれる一つ一つの文のようなものと言えるだろう。つまりそれらのもの全てを一つの秩序だったパースペクティブのもとに眺めることは可能ではなく、どれかとどれかとどれかを関係づけて観ようとすると、かならず別のどれかが、その関係づけには納まらないものとして、目にはいってきてしまう(または、目から逃れてしまう)、という状態が非常に複雑なやり方で仕組まれているのだ。

 つまり、色班の全てをひとつの平面上のものとして目が捕らえることが出来ず、複数の互いに矛盾する「読み=平面」がズレながら、闘争しながらも共存している状態を、目が時間をかけて読み込みながら、実際にはあり得ない異次元の重ね合わせによる「虚」の空間として、空間的な知覚としてそれを把握するしかないという状態なのだ。

 しかしその時、もし決定不可能性によって永遠に読みつづけることが要求されるというだけならば、それこそ悪しき意味での「ポストモダン」的な作品でしかないだろう。事実、岡﨑氏の絵画作品がそのような「ポストモダン」的なものに陥っているという側面も確かにあるように思われる。
だが、今回展示された作品のいくつかは、常に差異を産出しつづけ、結論を先送りにして読むという行為の緊張を持続させる装置であると同時に、そこに「ズレ」そのものが、まるで「地滑り」のように、ある強さをもった衝撃として、目の前にドーンと出現する様が、感覚的に察知できるような装置=作品たり得てもいるように思えるのだ。

(付け加えるならば、今回の絵画作品は、以前に比べて色彩=絵具の正確な把握や操作という点に一層自信をもっていて、より大胆になった、という印象がある。そしてさらに、じっくりと眺めていると、美術史からの、遠い微かなレファランスさえ見えてくるような気さえする。)

彫刻について

 展示されていた、リテラルに見れば大きな「うんち」のように見える4点の彫刻作品は、全て、2つの部分に分けられる基本的な要素(2つのマッス)が、ねじれをくわえられながら互いに貫入しあっている、という構造で出来ていると思われる。そのうち2点は、横たわっていて、横に伸びてゆきながらねじれが加えられており、あとの2点は、立っていて、上へと向かってねじれが加えられている。

 このような空間の作り方は、彫刻としてはむしろオーソドックスなもの(立ったり、横たわったりしている人体像を容易に思い出すことができる)で、古典的とさえ言えるだろう。にもかかわらず、これらの彫刻の特異な点は、作り込まれた細部の形態や、物質のもっているニュアンスなどの魅力に、ほとんど依存しないで成り立っている、という点にあるだろう。

 繰り返すが、これらの彫刻はミニマルな形態ではなく、ほとんど古典的と言ってもいいようなオーソドックスな空間を形成している。それは例えばマティスによる横たわる裸婦像のブロンズ彫刻を思わせるような魅力的な空間であるのだけど、マティスの彫刻では、そのざっくりとした大づかみの空間把握を説得力のあるものにしているのは、ほかならぬマティスの手による「触覚」によって包み込まれ、押し付けられながら、手探りで徐々に作り込まれていった細部の触覚的な形態の輝きによっている部分が大きいのに対して、岡﨑氏の彫刻は、ほとんど岡﨑氏の「手」によって触れらることで形作られたという感じがしない。

 それはまるで、一塊の粘土を、グーッと引っぱり、ギュッとひねって、ググッと押しつけ、いくつかの部分をザックリ切り落として、ハイ、一丁あがり、という感じで、ほとんど「時間をかけずに」サクサクッと作られたように見えるのだ。だから、これらの彫刻作品も絵画作品と同様、制作における「時間の厚み」というものを、そして、制作上の「身体性」の関与というものを、ほとんど感じさせない、という意味で共通していると言えると思う。
(念のために付け加えるが、これは実際に制作に時間がかかっていない、とか、身体による関与が希薄である、ということを必ずしも意味しない。それらをことさら「見せる」ことをしていない、ということなのだ。)

 細部の触覚的な作り込みや、表面の仕上げの丁寧さは、その物体=彫刻がそのような形になるまでの「試行錯誤」の時間や、身体が物質に対して関わった度合い、それがそのようなものになるまでの労力の量、等を示してもいるのだけど、岡﨑氏の彫刻はそれをほとんど感じさせず、あまり手をかけられていない粘土がドーンと置かれているだけのように見えるにも関わらず、そこに古典的と言ってもいいようなオーソドックスな意味で魅力的な空間を、ササッと(ここにも「速度が無いことによる速さ」がみられる)出現させてしまっている、という訳なのだ。

セラミックと石膏

 4点の彫刻作品のうち、3点まではセラミックによるものだったのだが、1点だけ石膏の作品があった。このことについて、少し深読みしてみたい。
セラミックというのは、「焼き物」なのだから、自分の手でこねた粘土が釜で焼かれて、それがそのまま作品となる訳だけど、石膏の場合は、まず粘土で形をつくり、そこから型がつくられて、その型のなかに石膏が流し込まれて作品となる。つまり、まず原形がつくられ、そこからそれを反転させた「空虚」な形である型が製作され、その空虚に、オリジナルとは別の物質が注入されて作品となるのだ。

 だからここで作品は、原形が型という媒介によって同じ形のまま異なる物質へと変換されたもの、なのだ。しかも、他の作品がセラミックという頑丈で保存がききそうな物質でできているのに、その1点だけは、ブロンズのように強い物質ではなくて、石膏という、著しく保存性の良くない物質が選ばれている。このことの意味は無視できない(ここで、絵画作品においてもおそらく「型紙」が使用されているであろう、ということが想起される)。

 ここであらわれているのは、たんに頑丈な物質ともろい物質の対比などではない。ただ1点だけ石膏を紛れ込ませているのは、これらの彫刻が示しているのが「物質」ではなくて、形、つまり「形式」であるということを示すためだと思われる(物質は、交換可能な「項」のひとつであるにすぎない)。
しかしここで、だから「形式」こそが作品なのだと言ってしまうのは間違いだろう。物質が交換可能な項のひとつだとしたら、同じように形式もまた、交換可能な項にすぎない。形と物質は、ともに決定的な何かではなく、どのようにも組み合わせることのできる要素のひとつなのだから、実際に展示してある作品も決定的なものではなく、形と物質のあり得べきいくつもの組合わせの可能性のうちのいくつかであるにすぎない、ということになる。

 そのとき、実際に展示されている4点ばかりの彫刻が潜在的に宿している、無数の彫刻作品の可能性が、知覚を超えたものとして圧倒的に迫ってくるのだ。そして、それは必ずしも、展示を見ているその場で起こるとは限らない。展示されていた作品について考えている時に、いきなり起こったりする。

 例えば、たんに石膏という物質は崩れ去ってしまっても、型による形式が残っていれば、異なる物質へとそれが受け継がれてゆく、ということだったら、それは、80年ごとに同一の形式が新たな素材でつくり直される伊勢神宮だとか、個人は死んでも天皇霊は相続されるという天皇制のようなものと、同じようなものだということになってしまう。

 事実、岡﨑氏のポリウレタンやベニア合版などの貧しい素材による彫刻作品は、そのようなものとの強い親和性があると読まれてしまいかねない感じもない訳ではない。しかし勿論、岡﨑氏の考えはそんなところにある訳ではなく、物質の同一性も、形式の反復性も、ともに「経験」の固有性によって切断してしまおう、という事であり、そしてそれは決して目指されるべき困難な課題というものではなく、そのような「経験」は実際に我々の身の回りで頻繁に起きている事柄であって、そのような「経験」を可視化することで意識化する装置としての作品がある、ということであるのだろう。

構造が構造たりうる「地盤」がぐらつく経験

 岡﨑氏の作品は、作品が成立するための試行錯誤の時間の厚みや、身体の関わり、あるいは素材となる物質の物質としての魅力やニュアンスのようなもの、それらのものを「見せる」ことによって、作品を作品として成立させ、魅力的なものにするということに対する、強い禁欲があると言える。
(それが意図的な禁欲であることは、カナダ大使館で展示された、ふと禁欲を解いてしまったような「豊か」な作品群によって証明されてしまった。)

 そのことが、いわゆる「美術ファン」から、頭でっかちで薄っぺらな作品だという評価を受けがちなことの原因でもあるのだろうが、しかし、もはやジャンルというものの安定性に頼ることが出来なくなった美術が(横浜トリエンナーレの混乱を見よ)、ジャンルの歴史によって保証された豊かさに頼らずに、この場にある貧しさのなかから「意味」のある作品を産出するには、このようなやり方しかないのだ、というのが岡崎氏の考えであるのだと思う。

 ほとんど構造だけで出来ているような貧しい作品が、その構造の複雑さによって、たんに「構造」であることを超えた固有性をもった「作品」たりうる瞬間こそが、ここでは目指されているのだ。

 岡﨑氏の作品が、たんにリテラルな読みでは理解できないのは当然のことだが、その構造を読み込むだけでも充分ではなくて、むしろ構造が構造たりうる「地盤」そのものが、ぐらついて、地滑りを起こしてしまう時に感じる、ズルズルッという感覚(そして、そのような感覚のなかで新たに組み替えられ、産み出される「知覚」の姿)にこそ、その作品の意味があり、感情があるのだと思う。

 それはまるで、宇宙の果てはどこにあるのか、とか、時間の始まりと終りはどうなっているのか、とかいうような、決して答えることの出来ない問いにぶち当ってしまったときに感じる、くらくらと目眩がするような「不安感」や「とりとめのなさ」を観客に強いるものであり、その「不安感」こそが、岡﨑氏が芸術による「経験」と呼ぶものにほかならないのではないだろうか、と思う。

初出 「批評空間Web CRITIQUE」 2001年

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