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〔美術評〕パウル・クレー「おわらないアトリエ」/東京国立近代美術館

古谷利裕

*以下は、2011年5月31日~7月31日に、東京国立近代美術館で行われた、「パウル・クレー/おわらないアトリエ」」展のレビューです。

 
 名前は広く知られているにもかかわらず、クレーには不思議な掴みづらさがある。例えばゴッホやマティスであれば、他の誰とも違う独自の作風があり、誰も真似することの出来ない独自の達成がある。明確な美術史上の位置づけも可能だ。代表作と言える傑作があり、そこに至るまでの探求の道のりを追うことも出来る。

 しかしクレーと聞けばすぐに思いつく独自の様式というものがあるだろうか。あるいはクレーといえばこの作品というような代表作があるだろうか。そもそもクレーは独自の様式の創造を目的としていただろうか。

 「おわらないアトリエ」というタイトルのこの展覧会は、このようなクレーの掴みがたさを掴もうとするものだ。本展は、目玉となる作品があり、その周りに関連した作品が配置されるという構成ではなく、年代順に作風の変化や発展を追うものでもない。まず、制作されたアトリエごとに作品が集められ、次に技法や制作プロセスごとに分類される。

 だがここで見られるべきは、クレーの作品の秘密を明かすものとしての技法ではない。クレーの技法はそれ自体としては特別なものではない。それらの技法について特に熟達していたということもない。

 クレーの作品に現れているのは、熟達や完成、ある達成の高さ等とは別の事柄だ。それは、クレーが様々な技法を通して、目と手を用いて行う試行-思考の展開や飛躍であり、その柔軟さや自由さだ。それは、機知や機転に富み、ユーモアに満ちている。それは、人を感心させたり、見入らせたりすることで立ち止まらせるのではなく、人の心を刺激し、解放し、行動へと駆り立てる。数々の作品を行き来する間に、自分も何かをやってみたくなる。

 素描を転写することで、線の表情の変化や表面に付着する汚れの効果を発見し、絵を切断することで無意識に働いている構図やバランスの癖を揺り動かし、切断した画面を左右逆に置いた時の新鮮さに鼓舞される。

 様々な技法は、狙った効果を得るものではなく、新たな刺激や発見のための試行だ。作品に現れているのは発見の喜びであり、未知のものを招く精神の自由さだ。その手つきは優れた運動選手のように流麗で、好奇心に溢れた子供のように瑞々しい。

初出 「東京新聞」 2011年 7月8日 夕刊


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