「死にたい」と思う気持ちについて

引っ越しやらなんやらで疲れていてまともに文章が書けないが思うところあったのでリハビリがてら書いてみる。

このことについてツイッターで少し呟いたことがあったのだけど、「死にたいんだよな」と言うと「生きるべきだ」と空リプされた。

私のパートナーは「生きること」を強いてこなくて、もし私が死ぬことを選んだとしても君の選択なら尊重するよ、と言ってくれている。できれば生きていて欲しいけど、と言う。

この私の意見を尊重してくれるのが本当にありがたくて、私は常日頃から日常的に死にたいと思うのが最早普通で、それを否定されるとなんだかなという気持ちになる。

生きるべきだ、というけど私が生きていてなにがいいんだろうか。
特に得することもないと思うのだが。
むしろ私がいなくなった方がプラスになることが確実にあることを知っている。

でもなんか「死にたい」というと「生きろ」と言われる。

この「生きろ」と言ってくる背景が例えば命は尊いとか親に貰った命だとかそういう道徳的だったり倫理観的だったりするのが気に食わない。

唯一私が「生きろ」と言われて嫌な気持ちにならなかったのはやはり「死にたいと思う気持ちがあるのはわかったけどできれば生きろ」というやつで、私の気持ちを尊重してくれないとやはり嫌なわけである。

要するに人の意見は尊重しましょう、というやつ。

それが間違った意見なら正してあげなければならないときもあろう。それはわかる。でも「死にたい」といいつつ結局私は死ぬことを選択できていないわけで、それは間違ったことなんだろうか。

常に「死ぬ」という選択肢があることが私にとってどれだけ救いになっているかを大抵の人はわかっていないしわかってくれないしわかろうとしてくれない。

なんで生きなきゃいけないんでしょう。
なんで死にたいと思っちゃいけないんでしょう。

私が納得できる理由があれば、考え方を改められるのだけど、私を納得させる理由を言ってくれる人はまだ現れないので、私は今日も死にたいと思っている。

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