生きる気力がない

生きる気がない。というのは一部のVRCのフレンドとかには言っていることで要するに死にたい。

死にたいといっても自殺願望があるわけじゃないくて、死かそれ以外か選べって選択肢を出されてその死に苦しみとかが付随しないなら死を選ぶ、程度の話で、自発的によし死ぬぜ!!とかはできない。残念ながら。

なんでこんな話を急に書き出すかというとそろそろ限界だからだ。リアルの生活が。バーチャルに居場所を作ったところで結局それは私の逃げにしかならなくて寿命は引き延ばされたかもしれないがリアルが充実したわけではない。相変わらず働けば全力で体が拒否するし少しのストレスで体調は崩れる。

積極的に生きたいと思っていない人間の厄介さは前職のときに思い知っていて、本当にどうしようもない。あらゆる人物に迷惑をかけながら生きていてだけど積極的に生きる気がしないから生活のあらゆる行動が疎かになる。結局その人に生きていて欲しいと思っているのは周囲のエゴでしかないのでそう言うんだったらお前ら俺の面倒見ろよ金出してくれよという気持ちでしかない。

なんで安楽死とか尊厳死が合法化されないんだろうか。生きる気のない人間にかける金銭その他コストはかなり無駄だと思うのだけど。まあそれに反対している人間は死という選択肢がそもそもない人で命は尊いとかまあそんななんか幻想を抱いている人たちなんだろうと思っている。

にしたって生きる気力もないのに生きさせられているこちらの身にもなってほしいものなのだが。何が楽しくてこの人生を生きているのか。

確かに昔は好きな漫画が終わるまでとかあのゲームが発売されるまでとは生きたい目標があったのだけど、その目標としてきた作品はもう大体終わってしまって目標もなくなってきたし、目標を持とうとしてもそれが達成できず悔しがる自分すら消えていなくなるのだという事実に気付いてしまったら本当に生きる意味とか目的がなくなってしまった。

多分生きることができている人はこちらの気持ちや考えはわからないし、同じくそういう人の気持ちや考えはこちらもわからない。その辺りのことを話しあいだすとお互い不毛な結果にしかならないのでやめた方がいいということはVRCを始めて知った。

さてもう面倒くさくて齧れる脛は齧りまくって生きてきたのだがそろそろ限界なようです。いよいよオタクグッズを手放し始めたら本気で何で生きてるかわからなくなって死んだように生きるようになるのだろう。それで周囲の人間は納得してくれるんだろうか。そこまでして私を生きさせてそれによるメリットみたいなものはなんだろう。そりゃあ私に金をつぎこむよりは金銭的にマシになるのだろうけど。それによって私は今より虚無になって生きることになるのでそれで一体どうしろというのか。

何の楽しみもなく生きることになったとき流石に自発的に死にたいと思うようになるのだろうか。その選択肢を発生させるために私から奪っていくのだろうか。まどろっこしい。海外にでも飛んで通り魔に刺されて死んだ方がましだ。あるいはガンにでもなって余命一ヶ月とか。

そんなわけでもしVRCに現れなくなったらそんときはVRCに入る気力あるいは物理的手段がなくなったときなのでしょう。QOLをどこまで下げるかさて考えながら今日は過ごしましょう。

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