第十九回 中島敦『名人伝』


你好(ニイハオ)!本日は漢学の教養充溢の鬼才・中島敦老師(ラオシー)による
名人伝』を題材に卓を囲みました。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/621_14498.html

成龍(ジャッキー・チェン)主演の映画『酔拳』シリーズを彷彿する、
短いながらも荒唐無稽、縦横無尽の一大武術活劇でありましたな!

簡潔明瞭を心掛け粗筋を陳述申し上げるに、

(1)主人公は弓の名人に弟子入りして5年の修行を積む。
 技を極め、師匠に挑み、免許皆伝。師匠はさらなる達人を紹介する。

(2)「道」の先には弓を持たない達人が居た。
  さらに9年間の修行のすえ、「無弓」の境地に至る。

(3)人里に降りてくる。主人公はしかし、弓を持たず、伝説が独り歩きする。
 晩年、弓そのものの存在も忘れ去ってしまう。かくして伝説は完成する。

漢文的表現について

本日の随筆が幾分、(オトコ)臭いのも、中島老師に触発されての由。
多少の誇張表現、即ちハッタリを効かすことが出来るのが、「漢字」の妙味かと。
例えば過去の魯迅幸福な家庭』より「竜虎闘」という献立にして、
その内情は蛙だか蛇だかの(なんと時宜を得た素材、失敬!)料理だというもので、
いわば「羊頭狗肉」、否、「竜頭蛇肉」、大いに盛り付けて想像力を喚起してこそ、
表意文字の本懐...。即ち何を述べたいかと言うと、
例えば英語の大げさな表現はちょっと格好がつかないのです。
私の手元に一冊の本があります。
ものすごくうるさくて、ありえないほど近い
原題が”Exctremely Loud & Incredibly Close” で、言いたいことはわかりやすい、
でも、クリアー過ぎるから妄想が制限されてしまうような気がするのです。
一応断っておきますと、

・このタイトルは作中「少年のノート」というテイ
 →全体的に子どもっぽい表現をあえて多用しているのだろう
・私自身の東洋趣味贔屓

ということはお伝えしておかねば公正ではないと思われますので。
ただ、英語及び海外文学(我が国において、この表現は概ね欧米のそれを指します)っぽい
なめらかな文章が横行する中で、
中島老師や、戦後日本においては開高健老師など、
力強い、骨太な筆でガシガシ刻むタイプの作家は、読み応えがある(まあ多分に個人的嗜好です)。
少なくとも、漢学に精通した中島でなければ、この物語はこれほどまでに濃厚な味わいにはならなかったのではないかと考えます。

奇行のリアリズム

ジョジョの奇妙な冒険』その第4部の登場人物であり、
人気漫画家の岸辺露伴は語ります。
「漫画のおもしろさとは、リアリティだ」と。
少年漫画の必殺技や、修行、誰しもが一度は試したことがあるはず(?)
そこには、「信じるものは救われる」ではないですが、
「ちょっと頑張ったらできるかも...?」という絶妙のさじ加減で、
条件が提示されているのです。(でも何度ガンバっても手からエネルギー波はでてこないのですが)

伝説を継ぐもの

このテキストからは、いかにして伝説が生まれるか?
というエッセンスも見て取ることができます。

実際、現代人の目から見ると、多分に胡散臭えのですが笑
その時代、その場所に居たらどうでしょう。
私自身はおそらく伝説に呑まれていると思います。

では、その「伝説の生成」についてポイントはふたつ

・誰もその真価を見たことがない(弓の技術はベールに包まれている)
フォロワーがいる(それが「権威」であれば効果は高い。この場合はかつての師匠)

見えないからこそ想像を唆る、信じてしまうという側面もあるのでしょう。

しかし、伝説となった主人公・紀昌はその技術を誰にも伝えないまま逝ってしまいます。
「道」は一旦、途絶えてしまうのです。
「道」は多分に東洋的な表現ながら、西洋に端を発した科学に通じるものがあります。
即ち、弟子の「師匠超え」を繰り返して発展をしていく、そのプロセスです。
弟子の義務とは「師匠の劣化コピー」で満足することなく、
プラスアルファを足して道をつくっていくことでしょう。
(過去の読書会での岸田國士『稽古のしかた』良い俳優の条件にも通じますね)

では、知識というものについて。
伝説は、「道」は完全に途絶えてしまったのでしょうか?
私たちの手元には、中島老師が発掘してきた物語があります。
これをもとに伝説を継承することはできないのでしょうか?

もし、信じる人がいるならば。
明日から一緒に修行を開始しましょう。まずはまばたきをしない訓練から。
2年、一心に頑張ってみましょう笑...


...危うい空気になってきたので、最後に魯迅故郷』からの引用で締めます。
みんなで修行すれば、きっとやれます。笑

希望は本来有というものでもなく、無というものでもない。これこそ地上の道のように、初めから道があるのではないが、歩く人が多くなると初めて道が出来る。


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