ケース(2)「幸せ」 について 〜地域で学んだこと〜

これはわたしにとってパラダイムシフトというべき体験です。
まちづくり組織では、公民館を利用したサロン活動を支援しています。
そもそもまちづくり組織は「市町村」という区分けから「小学校区」というミクロな地方分権を目指し、設立されたものですが、サロン活動はさらに小さな「居住区」レベルで行われます。隣近所といえばわかりやすいでしょうか。顔が見える範囲での活動ですので、地域住民のかたのニーズがより反映されやすいという期待があります。

そのサロン活動のひとつを紹介しましょう。
毎月一度、第3日曜に開かれるサロンです。午前9時から、解散はなんと午後4時くらいまで。女性ばかりの10〜15名ほどの集まりです。
午前中は切り絵、バッグづくり、裁縫などの「ワーク」を行い、
調理当番のかたがつくったお昼を食べて、午後は井戸端会議に花を咲かせます。
「ワーク」でやり残したことがあるかたは続きをやったり、時間の過ごし方は自由。
強制力はありませんが、みなさん「居心地が良くて家に帰るのがおっくうになる」そう。
ご一緒に見学した別のサロンの会長さんは「2時間みんなを引き止めるだけでもたいへんなのに」と驚かれてました。
わたしが特徴的だと思ったのは「ワークの先生」が毎回変わること。
もし先生をやりたいときは、サロンの最後のときに手を挙げるルールだそうです。
そのときの「先生」にお話を伺ってみました。
題材は「いらなくなったTシャツを使った室内用ゾウリづくり」。雑巾代わりにも使える、ちょっと「ズボラな」すぐれものです。
「先生」は準備に余念がありません。
まずは新聞でネタを発見。「これはきっとみんな喜ぶ!」
必要な材料をリサーチして、図書館に行ったり、けっこう遠方の道の駅などの販売所で
現地調査をしたり。
「講義」までのノートを見せてもらいました。図や文字がびっしり。
「数十時間はかけた」そうです。

さて、この「先生」たちは非効率なのでしょうか?
数十時間をかけて、準備をし、おしゃべりをし、つくった品物は販売していません。
たしかに「お金を稼ぐ」「モノを生産する」という観点からは、効率がよいとはいえないでしょう。
ただし、本質は、彼女たちの「目的」は「生産」ではなく「コミュニケーション」にある、と思い当たりました。
「コミュニケーション」すなわち「遊び」が目的にあるのであれば、そこに時間をかけられることは、すなわち生活が豊かだといえるのではないか。
それまでのわたしの仕事においては「コミュニケーション」は「生産」の手段であったので、これはおおきな衝撃でした。
じっさい、(あまり性差で語るのはよくないのでしょうが)男性がリーダーシップを発揮するまちづくり活動では「コミュニケーション」が手段として軽視されているケースが多く見受けられます。「生産」が必要か否かはそれぞれのまちで状況が違うと思いますが、
今後、父権社会的なまちづくりから女性がリーダーシップを発揮するものになると、
ずいぶん様相が変わるように思えるのです。

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