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「閃光のハサウェイ」を7回観た感想。(映画館で1回、Blu-rayで6回)

◆ギギは勝利の女神か…それとも疫病神なのか?その魅力とハサウェイ、ケネスとのドロドロ三角関係の行方は?

1.物語のカギを握る美少女、ギギ

宇宙世紀(シャアとアムロの物語)ファンの私は、劇場公開直後に本作を映画館で観賞しましたが、冒頭のテロリストのシーンから背筋がゾクゾクして鳥肌が立ちました。そして物語の中に没入しました。こんなに鳥肌立ちっぱなしで没入感は久しぶりでした。

富野由悠季氏の原作小説「閃光のハサウェイ」は読んでいなかったので、予備知識ゼロ状態での観賞でした。もちろんある程度の期待はありましたが、それをはるかに超える感動に打ち震えました。

私は映画館での初観賞直後に、ギギの「やっちゃいな!」というセリフが心に響き渡り、そのセリフに突き動かされるように、劇場内限定豪華版Blu-rayを購入し、帰宅後に通算6回視聴しました。そして今この原稿を7回目の視聴をしながら執筆しています。

なぜこれほどまでに惹きつけられるのか?本作にはたくさんの魅力が詰め込まれており、ガンダムの生みの親である富野由悠季氏が原作で、スタッフたちは原作を忠実に再現しつつ現代的にアレンジすることを意図したということが、購入したパンフレットの中に記されていました。

ちなみに私は原作「閃光のハサウェイ」を読んでいる最中ですが、映画の脚本と小説のセリフのシンクロ率の高いことに驚かされました。そこにも製作スタッフたちの富野氏の世界観へのリスペクトを感じます。

富野氏のセリフ回しは独特で秀逸なので、歴代ガンダムは名言のオンパレードです。本作も名言が散りばめられており、本作の小説的空気感はそのセリフによるところが大きいように感じました。重厚な人間ドラマでもある本作では、ハサウェイとケネスがギギという強力な磁石に吸い寄せられ、運命を狂わされていく様子が丹念に描かれており、これが本当のガンダム(小説版の再現)なのだと痛感しました。

前置きが長くなりましたが、ギギの吐く言葉の一つ一つが名言級であり、ギギの魅力の一端は、その独特な言葉使いにもあるのではと思います。「閃光のハサウェイ」の主人公はもちろんハサウェイ・ノアですが、物語のカギを握っているのはギギあり、物語をけん引しているのはギギです。さて、ギギ・アンダルシアとはいったい何者なのでしょうか?



2.ギギのような女性が、現実にいたら…

「閃光のハサウェイ」を劇場で最初に観たとき…私はある既視感に襲われました。それは、10年程前に同棲していた多重人格の美女とダブって見えたからです。地球に向かうハウンゼンの中で、仕立ての良い高級なスーツに身を包んでいるケネスが、軍人でバツイチであることを見抜き、ケネスの大人な受け答えに対しては「あなたって、パターンしかしゃべれないんだ」と、ややあきれ気味に言い放ちます。

さらにハサウェイがマフティであることもあっさり見抜いて、「マフティー・ナビーユ・エリン…つまり『正当な予言者の王』と名乗るのは、あなた、ハサウェイ・ノアだってわかったこと」という洞察に至って、私はもう完全にギギの虜になっていました。

そういえば先日、YouTubeで関連動画を観ていたら、ギギ役の声優である上田麗奈さんのインタビューの中で、「オーディションのとき、『ハサウェイの肩を噛みながら喋ってみて』と指示されて、いったいどういうシチュエーションなんだろう?と思いながらも、自分の腕を噛みながらセリフ言いました」と話されていたのが印象的でした。

でも、どのシーンだろう?あのエレベーターのささやき声?気になる…この原稿書いたらさっそくDVDでチェックしようw)

それにしても、ギギのCVは上田麗奈さん、ハマリ役です。原作者である富野氏の作り出す濃厚かつ過激すぎる女性キャラ達は、ネット上で「ガンダム三大悪女」とか言われますが、ひょっとしたらギギ・アンダルシアが最恐のキャラになる可能性を秘めている予感がします。「閃光のハサウェイ」は三部作で、小説に準じて作られているので、この先の展開次第ではあり得るのではないでしょうか?

地球に降り立った空港ホテルのラウンジで、ハサウェイが「言葉で人を殺せる」という話を始めたときのギギの動揺の仕方は尋常ではなくて、ほとんどヤバい人の反応だし…「私はそういうのじゃない」と必死に否定する様子からは、自分は言葉で人を殺すことなんて簡単にできる…ということを知ってるからこその動揺だったのでは?…というのは、私が深読みしすぎているからでしょうか?

◆ケネスとハサウェイを翻弄する魔性の女?ギギはケネスの言うとおり「勝利の女神」なのか?それとも、ハサウェイにとっての疫病神なのか?

ここではギギのセリフからギギの本質に迫ってみたいと思います。


・「やっちゃいなよ、そんなニセモノなんか」
ここで、ギギのセリフに絞って解説していきたいと思います。多重的に反響するギギの心の声。その直後に、生声で「やっちゃいなよ、そんなニセモノなんか」を合図にしてハサウェイはテロリストの主犯格の自分はマフティーだと名乗る「カボチャ頭」に反撃し、ケネスの助けもありテロを鎮圧します。

ギギのような女の子に「やっちゃいなよ」と言われたら…私もついやっちゃうかもしれません。(笑)

ギギはハサウェイの心を読んだうえでこの言葉を発しています。つまりギギはハサウェイの心を鏡の反射のように返しているだけとも言えます。だからこそ、ハサウェイはその言葉でタガが外れたようにそれまで自分の素性を知られないために目立たないように演じていた衣を捨て去り、俊敏で迷いのない動作でテロリストたちを鎮圧できたのではないでしょうか。ギギは自分の言葉(心で思うこと)で、人を間接的に殺せることに自覚的なのだと私は思います。それはある意味ニュータイプとして生まれたサガであり、宿命とも言えるのではないでしょうか?

・「私の本当の姿は薄汚いでしょ?」
私が十年前に同棲していた当時現役の名門女子大生だった彼女は、風俗嬢であり、AV女優でもありました。ギギと彼女がダブって見えてしまうのは、そういう理由もあるのでしょうか。ギギに限らず女性というのはいくつもの顔をもっているものです。そういう小悪魔的なところを「かわいい」と思えるようになるには、ケネス大佐くらい大人にならないと無理かもしれませんね?(ケネスって何歳なんだろう?調べないと)

ところで小説版でのギギの設定は15才ですが、映画版の設定は19才に引き上げられています。映画の内容を見れば当たり前ですが、現代のコンプライアンスにおいて15歳で二人の大人を手玉に取る様子は教育上よろしくない…(笑)

・「人は身体に現れますもの」
ギギはハウンゼン機内でのテロ騒動のとき、マフティーを名乗る「カボチャ頭」がニセモノだと見破りました。ガンダムの根底テーマは、富野氏によれば「人と人とは、分かり合えるのか?」という普遍的な事柄に集約されます。それは時代が昭和から平成、令和…そして今後の宇宙世紀になっても変わることのないテーマでしょう。ニュータイプという概念については富野氏もインタビューで語っていますが、ガンダムという物語は、人と人とのコミュニケーションの物語だとも言えます。

・「ハサウェイは、あのベッドを使いなさい」
このセリフを聴いたとき、ギギは人を使い慣れていると思いました。だって、まるで女王様が召使いに命じているような気品と有無を言わせない迫力があるからです。私は同時にセイラさんのことを思い出しまた…

「軟弱もの!!」「アムロよろしくって?」

セイラさんと同じくギギもじつは高貴な出自だったのか…あるいは大富豪バウンデンウッデンの愛人になったことで、召使いたちに囲まれた生活を送っていたからなのか?…小説版はまだ読み終えていないので、これからギギの過去が紐解かれるのかもしれませんね。続編が待ち遠しいところです。

個人的な話ですが、美しい女王様にこんなふうに言われてみたいです。ギギの「あのベッドを使いなさい」は、私にとっては「私の靴をお舐め」と言われているのと同じくらい強力な命令です。(コレ、命令ですから)実際はハサウェイは逆らえませんでした。

ハサウェイはテロリストのリーダーですが、根っこのところは、ブライトさんやミライさんのような優しい性質が、彼のDNAに書き込まれているのではないでしょうか?(そうあってほしい)

◆ギギの存在は自動的にララアのことを想起させる…

シャアとアムロの人生を大きく左右した存在であるララア。シャアにして「彼女は私の母になるべき存在だった」と言わしめるほどの大きな存在でした。アムロにしてもそうです。覚醒したばかりのアムロにとってのララアもまた、アムロの精神的な母親的存在でした。そのシャアとアムロの遺志を継ぐハサウェイは、ギギに心を奪われていきます。

これはもうどうしようもない運命なのでしょう。ハサウェイがハウンゼンに乗った動機は、小説版によれば「粛清すべき対象の連邦の閣僚たちの顔を一度見ておきたい」ということらしいのですが、もしかしたらハサウェイには自分がやっていることの迷いがあって、自分が殺そうとしている生身の人間達とキチンと対峙することで、自分の掲げる大義が正当なものかどうか、確証を得たかったのではないでしょうか?そしてギギにハウンゼンで出会うことは運命でした。かつてシャアやアムロがララアに出会ったのと同じ理由で。



◆「ニュータイプ」としてのギギ
ギギという女性は不思議な魅力に満ちています。先に書きましたが、筆者が過去に同棲していた女性を彷彿させます。それは大きな喪失を心に抱いたハサウェイが、ギギの中にクェスの姿を重ね合わせたのと似ている気がします。ハサウェイがマフティーだと一瞬で見抜いたように、彼女には本質を見抜く洞察力が備わっており、富野氏が創造した概念「ニュータイプ」のそれそのものです。他人の感情や思考が自分の心の中に流れ込んでくるというのは、想像するだけでしんどいことに違いないですし、これは私の推測にすぎませんが、きっとギギは子供のころは周りから疎んじられ、自分の能力を呪ったこともあったのではないでしょうか?

本作の中では「ニュータイプ」という言葉は、ギギとハサウェイの二人の会話の中に一度しかでてきません。(7回観賞した私の記憶ですが)ケネスとハサウェイを翻弄しているのも、意図したものなのかそれとも天然なのか…私はまだ結論を出せていませんが、彼女は幼児性を残しつつ、残酷であり純粋であり、時にキャバ嬢のように計算ずくだったりします。爆撃の中をハサウェイに抱きかかえられ泣き叫びながら逃げ惑った後、ケネスの姿を見つけるや「大佐ぁ~怖かったよぉ~」と、歌舞伎町のキャバ嬢かと思わせる安っぽい甘えぶりを見せたりします。(個人的にはそういうの好きですがw)

■まとめ
私は、ケネスとハサウェイとギギの三角関係が本作の最大の魅力だと思います。もちろんモビルスーツ戦も大迫力で、とくに市街戦ではリアリティが半端なく、自分が戦場に放り出されたような臨場感で恐怖と感動に何度も鳥肌が立ちました。でも純粋なモビルスーツ戦は後半の15分程度であり、上映時間のほとんどをハサウェイ、ケネスの人間ドラマが占めています。村瀬修功監督によれば富野氏に映画化の話をした際に、韓流の三角関係ものDVDを手渡され、「それを観て」と言われたそうです。「あとは好きにやっていいから」とも言われたそうですから、原作者の富野氏自身が「閃光のハサウェイ」を「三角関係のドラマ」だと意識していることがここでうかがえます。その三角関係の台風の目であるギギは、子供だったクェスと比較するとすっかり大人のオンナです。

ちなみに映画版の設定は原作の15歳から引きあげられ19歳になっています。私はクェスの言動には時々イラっとさせられましたが、ギギには最初のハウンゼン機内でのシーンで一瞬に魅了されました。ハッキリ言って「エロい」です(笑)もう少し上品に言うと妖艶な魅力にあふれ、謎めいていながら高慢さを隠すこともなく、どんな相手であろうと、思っていることをストレートに表現します。そしてとどめは「やっちゃいなよ」ですから、もうやるしかないなって思わされます。実際、ハサウェイの心の中に多重に響き渡った「やっちゃいなよ」で、ハサウェイはテロリストたちに向かって計画性のない衝動的な反撃にでました。ギギは人を操る天性の才能があるようです。そしてギギは自分の美しさと魅力も十分に理解しており、それを意図的に使って男たちを虜にします。80歳を超える絶大な権力とカネを持つ伯爵の愛人でもあるギギは、したたかなオンナであり、自由奔放な美少女であり、彼女に関わる人間をもれなく破滅に追い込むガンダム史上最恐の毒女でもあります。そういう複雑で多重人格的でもあるギギの魅力は、私を含めて多くの男性の心をかき乱すでしょう。

とくに目を引くのはギギの瞳です。観賞された方はお気づきだと思いますが、瞳の中にピンク系の光彩が宿っているのがわかります。他のキャラクターにはそういった複雑な色彩は施されておらず、その瞳にみつめられるだけで心がザワザワします。先にも言いましたが本作の最大の魅力はギギ・アンダルシアにあると思います。富野由悠季氏は女性が大好きであることは有名ですが、私自身もガンダム史上最高に魅力的な女性に出会えたことを喜んでいます。突然キレたり泣き叫んだり、かと思えば何も聞こえないかのように虚ろになったり、こちらの心を見透かしたり、挑発的な言動をするギギみたいな女性が実際に身の回りにいたら…人生をめちゃくちゃに破滅させられそうで怖いですけどね。

それでもギギは冷たいあの魅惑的な瞳でこちらを見つめて、「人って、自分のことになると、バカになるって本当ね」などとクールに言い放ち、私を振り払って駆け出して、「大佐ぁ~」と他人の胸の中に飛び込んでいくとしても、嫌いになれない小悪魔。

…心をズタズタに傷つけられても、振り回されても、愛さずにはいられないのが、ギギ・アンダルシアという小悪魔なのです。





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