昼過ぎの泉田向公園

去年の5月頃、友人とキャッチボールをしに近所のグラウンドへ向かった。

コロナ禍による自粛で運動という運動がまともに出来ていなかった。自粛をしていなくても特に運動はしないライフスタイルだが、ずっと家に篭っていると得体の知れないストレスが身体に張り付いていたから、それを振り払うためのキャッチボールだ。

高校まで使っていたグローブを持って中学以来の友人と、お互いの彼女とのことや欲しいバイクなど、なんてことない会話をしながらボールを投げ合った。

グラウンドの端の方には男子小学生が2人でキャッチボールをしていた。13時。学校が終わり次第ランドセルを家に放ってグラウンドへ直行したのだろう。

彼らの失投でボールが転がってきたとき、下手投げでそのボールを返してやりながら話しかけてみた。

「少年野球やってんの?」

「はい、やってます」

敬語だ。120cmくらいの身長の子どもからハキハキとした口調で答えが返ってきた。それだけ爽やかに返事ができたらこの先なんでもやっていけるだろう、と見知らぬ少年の将来に勝手に太鼓判を押しつつ、心の距離を縮めるための質問をしてみた。

「コロナで練習は休み?」
「はい、休みです」
「嬉しいでしょ?」
「いや、嬉しくはないですね」

衝撃だった。練習が休みになって嬉しくない人間っているんだ。人格者?この子は一桁の年数を生きただけでもうその域まで達した人格者なのか。俺が小学生の頃なんか練習が無くなるようにと何度も神に一生を捧げたのに。

そしてなにより、180cm近い100kgの大男からの決め打ちの尋問に対し、臆することなくしっかりと自分の意見を伝えてきた彼に感嘆した。

君のその爽やかさと実直さ、練習がしたいという向上心、すべてが俺には無いものだ。

「そうなんだ、素晴らしいですね」

咄嗟に俺の口から出たのは敬語だった。

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