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機会から先のこと

アドラー心理学について書かれた「嫌われる勇気」の中に出てきたと思うんですが、それで覚えてる言葉があります。

馬を水辺につれていけても水を飲ませることはできない

これはイギリスのことわざらしいのですが、いちおう英語版も。

You may lead a horse to the water, but you can't make him drink

内容どおり、こちら側では水辺まで連れて行く機会は作れても水を飲むかどうか馬次第(その人次第)、ということです。

自分にとっての機会をどう捉えるか

僕自身に対してもそうですけど、特に会社の社員さんたちには、身の回りで起こる様々な機会をそれぞれにとってプラスになると捉え、自分がどう動くかを前向きな判断をしてほしいと思います。押し付けたくない。それを自分ならどうするか、と価値が少しずつ増えていく決断をしていけるようにしてもらいたい。
だから、できる限り僕がおもしろいとかぜったいためになると思えることはそれを経験できる選択肢として機会をつくれるようにしたい。

でも、馬と同じように、実際やる方向に一歩踏み切るかはその人次第。自主的な判断を避けようとする、できれば意思表示しない方法を取ろうとする人も多い。

機会を与えたい立場からしたら、人それぞれに受け入れれるもの、したくないものがあるとしても、まったく反応しない人、というのは目立ちます。イメージ的には悪い方に。

自分に置き換えれば、その与えられてる機会に気づけているか?と思い返す。たぶん見過ごしているこれまでの機会も多いのではないかと。

全てを受け入れる必要はないけど、人の関わる場所ではほとんど「意図」があって何かが発生している。

こうしてほしい、これしてくれたら助かる、よくなる。
これはきっとためになる。

機会を与える方は、自分がいいと思うから必ずいい、という一方的な押し付けになってもいけないとも思います。その選択肢をとらなきゃいけない圧力ではなく、どう選ぶか、自分の理由はどうか、を考えれるようにしたがいい。

僕らは判断力、決断力をつけていかなければいけない。
そのために、日々の起こることに対しての自分の行動、思考を常に考えておくことが大事だし、アンテナを張っとかないと気づけない。

いろいろ書いてますが、個人的な想いです。

みんな自分の周りで起きてる機会を無駄にしないでね、自分もできる限りしたくない。

いいこともつらいことも、これは自分にとっての成長の機会だ、ハードルだって思えれば、そのことに対して感謝できるようになるかも。
今自分が在ることやこれまで誰かにしてもらったことなど、見て見ぬふりをしてたけどもっと気づけるかもと思います。

あなたはその水を飲んでみる人?
もしくは水辺に誰かに連れてきてもらってることも気づいてない人?

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