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早生みかんの収穫中です

早生みかん、絶賛収穫中。といっても、早生みかんは色づきを見ながらの収穫になるので、いきなり全部とっちゃうことはないんだけどね。

毎日ジョロウグモの蜘蛛の巣に引っかかっている。

こいつの蜘蛛の巣、強すぎて小さい鳥ぐらいなら捕まりそう。さすがに私は捕まりませんが。ものすごく引っかかるだけ。すごく。

みかんは小さい方が美味しいっていう伝説、どこから生まれたんだろうと思う。

実際、小さくて美味しいものはある。でも、小さくても不味いものもある。逆に大きくても美味しいものもあるし、大きくてまずいものもある。個人的にはサイズの問題ではなく、適切な場所できちんと生育したかどうかだと思う。

適切な場所でっていうと「どこだよ」って感じだけど、だいたいは枝の先っぽにある垂れ下がる実で、日当たりが良くて色づきがいいものが美味しい。小さくっても日陰で色づきが悪いものは美味しくない。

柑橘は品種にもよるけど、樹上完熟させたらたいてい美味しくなる。美味しくなるんだよ本当に。でもそれが市場が求める時期と一致しない場合もあるわけで(概ね市場の呼び声が早いのだ)、よーく完熟した美味しい早生みかんを食べたければ11月中旬以降のものを買えばいいんじゃないかと思う。

でも、産地によって完熟の時期は違うんだけどね。だから難しいね。まぁとにかくへたの切り口が小さくて、へたが枯れてなくて、色づきがいいものを選べばいいんじゃないだろうか(私ならそう選ぶ)。

色白なのにおいし~い、なんて温州みかんないからね。色づき大事よ。

2020年4月からみかん作りをしているけど、しみじみと思うのは「温州みかんが、一番作るの難しい」だ。あんなにお手頃で大量に売られているみかんなのに。

紅まどんなやせとかの方が、いくらも難しい点はあると思う。だけど温州みかんはこんなにたくさん実をつける。だからこそいろいろと手入れが大変だなと思う。剪定とか、摘果とか。

そういうことを考えるたびに、こう思う。

だからって、ありがたがって食えってことを言いたいんじゃない

野菜でも果物でも、生産者はみんな大変な仕事をしている。どんな生産者であってもだ。でも、だからって「ありがてぇありがてぇ」って思って欲しいわけじゃない。ましてや「食ってやるから売れ」なんて奴には売る気もしない。

そうじゃなくてな、どんなものにも誰かの労力や思いがこもっているってこと、ちょっと思い出してほしいんだ。それが最強の無駄をなくすSDGsになるんじゃないかな。

先日送ってもらった長野県のお野菜の数々、びっくりするほど大きくて美味しかった。軸の一つも無駄にしたくなかったから、全部綺麗に食べちゃったもんね。そういうことじゃないのかな、持続可能な世界って。

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