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メジロと、お金になる畑と

柑橘に限らず、農家の繁忙期の恐ろしさは「ひたすらに繰り返される」ことではないかと思う。

先日遊びに来てくれた友人は、農作業を「無心になれるからいい」と言っていたが、まさにその通り。といっても、他の仕事でも膨大な単純作業なんかは無心になれるのだけど、それとは違う点がある。精神より肉体が疲弊するということだ。

仕事が終わって帰宅し、一度座ってしまったら立ち上がるのに「ヨイショ」どころじゃないパワーが必要になる。寝転んでしまったら終わりだと思っていい。

今日は早朝から早生みかんの収穫。前回収穫した時に青くて残したものを収穫していく。メジロさんがよく食べている。

この畑はカラスよけの糸を張っているのでカラスの被害はないのだが、防風林を寝床にしているメジロが食べ放題を開催しているようだ。これはもう仕方がないかなと思って、この穴に指を突っ込むたびに「グヌウ」と漏らすのだった。

収穫の仕事は、畑や木の大きさによって運動量が全然違ってくる。仕事のしにくい傾斜のきつい畑ならば、当然踏ん張る力がずっと必要だからすごく疲れる。また木が大きいところなら登って収穫せねばならないから、これもまた大変だ。

昨日、ローカルNHKで「“みかん王国”復権への道〜西日本豪雨3年目の収穫〜」という番組をやっていた。西日本豪雨で畑と共に流された谷の復興や、大三島のJAと新規就農者の取り組みなどが放送された。

https://www.nhk.jp/p/himedon/ts/6853Y7282V/episode/te/R31PZGQ872/

その中で、西日本豪雨の影響が大きかった吉田町の農家の方がこう言っていた。

お金になる畑を作らなければならない

この言葉、農家になった今はすごく分かる。お金になる畑でなければ、意味がないのだ。

何のために、土砂崩れで流れてしまった場所を畑にするのか。それは、そこで暮らすためだ。

人が暮らさなくなれば、あっという間に谷は雑木林に覆われて人が住めなくなるだろう。人が住めなくなってしまったら、その場所がかつて人が住んでいたということすら忘れられてしまうだろう。そしてその場所の歴史もあっという間に時間に埋もれ忘れ去られてしまうだろう。

そうさせたくないから、畑にするのだ。

でも、お金にならない畑ならば遅かれ早かれ雑木林に覆われるだろう。整備された畑で、仕事がしやすい畑で、いいみかんが実る畑ならば、誰かが作ってくれるかもしれない。だから「お金になる畑を作る」のだ。

とても心に響いた。そして私も、そういう畑を作ろうと思った。


午後からはせとかのサンテかけ。この仕事もさっさと終わらせてしまいたい。だからいっそ人を雇いたい。しかし簡単なことではないので家族で頑張るしかない。
この仕事は収穫と違ってあまり動かないので、連日の20度越えがちょっとありがたい。体が冷えてしまったら怪我をしやすくなるしね。

今日の畑は紅まどんな(愛果28号)とせとかがある畑。どちらもオレンジ色が映えるなあと思いつつ、袋がかかっていない果実を探していたら、1つぽろりと取れた。よくよく見ても痛みがあるわけではないから、持ち帰って食べてみた。

しっかりと果汁が蓄えられてジューシーに仕上がっている。うちの収穫はもう少し先だが、すでに味も完成されつつある。楽しみだ。

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