祝い

歌(に限らずあらゆる創作物)をつくるというのは,子育てに似ているのかもしれません。

生物として生まれ落ちる前にすでに,血が出るような自身のかけらをかき集めて,つなぎ合わせてつぎはぎして形を作ろうとしています。

運良く生まれ落ちたとしても,それだけではなかなか命とは言えません。

声をあげて,多くの他の命とぶつかり合って,多くを与えてもらって初めて,社会に噛み合った,“生きている命”になるように思います。

しかし一方で,周りの様々なつながりに噛み合っていくところの命は,自分が考えたような命とは少しずつ乖離していきます。

おそらくついには,自分が生み出しながらも自分のものではない,1人でありながら見る人によって姿形の異なる複相を備えるようになります。

何の気なしにまみえたはずなのに,そこから新たな相が,つまりは命が偶然にも生まれてしまうこともあるわけです。見る人によって出会った時が異なるのですから,ともすれば生まれ落ちた時すら各々で異なることになるのかもしれません。祝いきれないほどの多くの誕生日を数え上げることになりますね。

ときには,生み出した命に支えられ,命を作り作られる対等に近い関係になることもあるでしょう。

そうなれば,少し寂しいですが,おそらく生み出した側の私やあなたはお払い箱です。どんな命でもそうであるように,生み出した側の命とは別の未来へと進んで行くことになります。

それでも,だからこそ,生まれ落ちたことを祝う言葉を投げかけたくなります。

人の持つ「声色」と同じように,歌にも,出会った誰もが共有している,おそらく唯一の質があります。

それは歌われた歌声でありメロディです。

だから,生み出した私やあなたは,「歌え!」と言って,だれもが為しえ,かつその質を共有できる言祝ぎを求めるのでしょう。


想像をはるかに超えた命になった,かの命に再開した時は,お互い少し気恥ずかしいでしょうね。
きっと,照れ隠しでおどけたように,どこかよそよそしい空気を和ませるように,こう言うのです。
「ハロー」
「ハロー」



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