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命のろうそく

【注:こちらのエッセイは】

写真付きのオンライン記事を探し、記事の内容とは無関係に、写真から勝手に想像をふくらまして書いた虚構エッセイです。

【今日の写真はこちら】

【本編】

「命のろうそく」というものについては、子供のころ、童話だったか民話だったかで読んだ覚えがある。冥界にあるというそのろうそくは、一人一人の寿命の長さを示していて、ろうそくが燃え尽きた時が、その人の寿命の尽きたときだという。私が読んだ物語では、主人公はあろうことか他人のろうそくを自分のろうそくに継ぎ足して、寿命を延ばしていた。そのあくどさに憤慨する一方で、少し感心して、よし、同じような機会があったらやってみよう、と子供心に思ったものだ。

ただ、臨死体験をして実際に目にすると、あれは「命のろうそく」といったようなものではないことがわかった。今日はそんなことを物語ってみよう。

あの震災で意識不明になった私が見た光景は、いわゆる三途の川というものではなくて、山の中で行われているフェスのような光景だった。前方に光に包まれたステージがあり、ステージ手前の野原には、どこか呆けたような顔をした男女がふらふらと歩いていた。ステージのほうに向かいながらも、その足取りにはまだ迷いがあるような人が大半だ。私もその一人だった。

ステージの右手にはテントらしきものがあり、そこに、ろうそく状の棒が大量に屹立していた。大半は白いが、中には赤いものもある。その手前には「心棒はこちらに置いて行ってください」と書いてある。心棒・・?

隣にいた80代とおぼしき老人が「そうか、ここに置くのか」と言って、左耳の中から、するすると棒を抜き取った。「パチンコ、競馬」と、達筆な文字で書かれている棒をひとなでしてから、たくさん並んでいる棒の右端に立て置くと、ステージに向かって、今度はしっかりとした足取りで歩き去った。

次に来た50代くらいのふっくら体型の女性は「えぇ、置いていくのは、やだわ。持っていけないの?」と係員らしい男性に聞いていた。「あちらにいくには邪魔ですよ。これを持っていると、成仏できませんし」と聞くと、「仕方ないわね」といって、今度は右の耳から「お菓子、アイス」と書いた棒を抜き取って置いて行った。

どうやら、心棒とは自分が好きで好きでたまらないものの象徴であるようだ。近寄ってみてみると、そこに書いてあるのは「探偵小説」「K-Pop」「珈琲」「猫」など、SNSのプロフィール欄の「趣味、好きなもの」に書いてありそうなものがほとんどだったが、ギョっとしたのは真っ赤な心棒に書いてある文字だった。「詐欺」「殺人」「虐待」「支配」・・なるほど、血で染まったような色の心棒になるわけだ。これらに取りつかれて生きてきた人もたくさんいるのだ。

係員に「あなたの心棒もどうぞ」と促されて、耳に指をつっこんだが、何もつまめない。右も左も。鼻の穴も、口の中も。穴と言う穴を探してみたが、私の心棒は見つからなかった。係員はそんな私をじーっと見つめると、「あなた・・心棒がないなんて、寂しい人生を送ってきたんですね。悪いけど、あなたはまだ死ねませんよ。なんでもいいから、何かに執着して生きてからいらっしゃい。またお待ちしていますからね」。そう言うと、ステージとは逆方向に向かって私の背中を強く押した。いっきに周りの景色がぼやけはじめ、音も消えていき、白い渦に巻き込まれ・・気づいたら、ICUのベッドの上で横たわっていた。3日ぶりに意識が戻ったのだ。

信じなくても構わないが、これが私の話だ。私が思うに「命のろうそく」なんてものは、おそらく、ない。ただ、「心棒」はみんなが持っている。いや、持たなくちゃいけない。たいした執着じゃなくてもいい。むしろつまらん執着のほうがいい。それを大事に日々生きていればいい。そうしないと、あちらのフェスには行けないんだよ。


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