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空知集治監

 幾春別川の中流、市来知(いちきりし)と呼ばれた場所がある。もともとはアイヌの言葉で「イチキッウッィ」で,意味は「それ熊の蹄の多くある所」とある。ここに監獄が建てられたのは明治15年であった。囚人たちにとってここは塀がなくても逃亡するには恐ろしい地名である。熊がいるような原野に逃亡しようとする囚人は相当の覚悟が必要だったに違いない。
それでも逃亡した人々もいた。それほど過酷であった。それは実はここに収容された囚人たちが、明治12年に始まった幌内炭坑での採掘作業に駆り出されていたためである。狭い坑道の中で、暗い厚い石と土の壁を前にして自分の人生がまさに奈落の底に向かっているように感じていたのではないか、と想像する。新政府にとって石炭の採掘がいかに急を要するものであったかを物語る。從ってここには強盗殺人を犯した罪人だけでなく、政治犯の多くも送られた。萩の乱、西南戦争、佐賀の乱と次々に反乱が起きた。その後の自由民権運動の中でも加波山事件、秩父事件と連なった。
 
 労役の過酷さは廃監される明治34年までのおよそ20年間で1158人の死者が出たことでも明らかである。年間60人、毎月12人の死者になる。囚人たちにとって、たとえ熊が出るような原野であっても逃亡したくなる環境であった。逃亡者が遺体となって発見されると人々は「赤ちゃんが見つかった」と言ってふれまわった。囚人たちの服が赤だったからだ。
やがて、過酷さは世間に知れることになり廃監になった。

 原利八は空知集治監に収容された一人であった。しかしそこで病死した。明治23年、39歳であった。彼はもとは福島県会喜多方の六郷連合会の議員であったが、県令の度重なる農民への強権に対して意義を唱え、加波山事件の当事者になった。この事件で捕縛された人々はほとんどが旧士族であったが、彼一人農民出身であった。収監された加波山事件関係のほとんどは明治26年から27年にかけて特赦で出獄した。彼は間に合わなかった。
出獄した人々は彼を偲んで集治監のそばに慰霊碑を建立した。それが今、千人塚公園として知られている。石碑には「自由黨員原利八君之碑」とある。

 空知はアイヌ語では「ソラ・チぺッ」で、ある学者によると「滝がごちゃごちゃに落ちる」という意味だそうだ。熊が歩き回る原野に監獄が建てられ、囚人たちが政府のなりふりかまわぬ政策で坑道に追い立てられる、それが人々が期待した維新であった。幕藩体制が崩壊し、万機公論に決すべし、という言葉も、結局は弾圧の時代になってしまった。
まさに弾圧、汚職、暗殺、内紛、権力闘争という滝水がごちゃごちゃに落ちてきた。それも弱者の上にであった。石狩、空知での出来事は日本の縮図であった。石炭という宝がそうさせた。一つの宝に人々が踊らされる。この傾向は古今東西、時代を問わず遍く存在する。その理由は明らかであるが、だれも面と向かって議論しない。幾春別川が放つメッセージである。

 しかし、空知と市来知に共通する「知」の漢字の中に、なぜ市来知に集治監が建設され、空知集治監と名付けられたのか一つの故事来歴を見る。それは「知」だ。「知」という字は 「矢」と「口」が結合している漢字である。「矢」は射る、という行為を顕わし、「口」は神への祈りである。すなわち神に向かって祈りの言葉を発する、という、そんな意味を持つ漢字である。

   国おもふ心のたけにくらぶれば浅しとぞ思ふ石狩の雪

 これは原利八の詠んだ辞世の和歌である。これを読むと、彼の願い、彼の祈りを感じる。ここで亡くなった1158人は生きたい、死にたくない、また自分の人生を後悔しながらもその後悔を誰かに告げたいと思って死んでいった人たちであった。「空」には地上を覆って高く広がる空間、すなわち天の意味がある。しかし、ここでの意味は「むなしい、はっきりした理由がない、無駄である、からにする)といった意味を当てはめたい。彼らの願いはまことにむなしいものであった。彼らの中にははっきりしない理由で監獄に送られてきた者もいたであろう。そして彼らの心はからっぽであった。しかし、そのむなしさやからっぽを原の短歌は一つの矢になって天に放たれた。そんな故事来歴を想像する。その矢は時が過ぎて一人の女性の心を射抜いた。

 平成になって、一人の女性が恋をした。彼女は職場の近くにある公園を毎日昼休みになると散歩していた。いつしか、そこに建っている石碑に心を寄せるようになった。石碑に刻んである名前は、彼女の心のなかで知らず知らずのうちに膨れ上がり、忘れることができなくなった。彼女はその思いを人に伝えた。その時彼女は「この人は私の恋人です」と言って石碑に案内した。人は黙って聞いていた。人はこんな句を詠んだ。

    君の名を心に刻み歳々に積もる思いは石狩の雪

 彼女が原利八に関心を向けたのには理由があった。彼女は普段から先祖の探究に携わっており、自分の先祖や他の人々の先祖探究にも協力し、努力していた。北海道における先祖探究はすべて本州や四国、九州へと発展する。彼女の場合、沖縄や中国にまでわたっていた。そんな彼女なればこそ原利八の思いが彼女の心に働きかけたのかしれない。不思議であるが事実である。
 
 石碑の近くには同じく明治15年から35年にかけて空知集治監で亡くなった人々の墓もある。名前の中にあきらかに薩摩の人の名を持つ人もいた。彼らは集治監の看守で若い人であった。看守にとっても北国での任務は過酷であったのだろう。ただ、初代の典獄であった渡辺惟精は冷酷な人物ではなかった、と記されている。政治犯に対しては配慮ある処遇をした。彼の日記が残っている。幾春別川、市来知という漢字をあてたのは彼であった。彼は集治監のある市来知の開発に貢献し、後の三笠市の基を築いた。
 原利八が加波山事件に加担するきっかけになったのは福島県と栃木県の県令を兼務した三島通庸の農民への圧政である。そして彼を暗殺する計画に加わったことである。しかし失敗し逮捕された。三島はもとももとは薩摩の下級武士であり、東北の土木事業に奔走したがそれが時に過酷であり、農民の反感を買っていた。渡辺と三島、二人のタイプの異なる官僚の関わりもまたごちゃごちゃの一つである。当時官僚たちも藩閥政治に振り回されていた。
  
 死んだ人の祈り、願い、魂が後世の誰かに影響を与える、科学的な根拠はないが、しばしば耳にする。この世にいる人間が今出来ることは死んだ人々のことを思い起こし彼らに感謝することである。亡くなった人々を思い起こす時、死んだ人は復活する、もし忘れてしまえば、死んだ人はもう一度死ぬことになる。原利八を初め、空知集治監で死んだ人々の合同慰霊祭が行われた際、「おかげさまで」と感謝しようという話が伝えられている。彼らは炭鉱だけでなく、北海道の道路建設にも携わっていた。三笠から樺戸に延びるまっすぐな一本の道も彼らのおかげである。

 イク・スン・ペッが幾春別になったことも偶然ではなかった。漢字が見事に故事と来歴を語ってくれる。空知集治監も同様である。その人々のことを「知る」ことは「むなしさ」や「からっぽ」を満たすことになる。アイヌの人々の言葉と漢字の字源を見比べる時、そこで偶然の一致を発見する。

 さて、原利八を自分の恋人にした女性の話は、それを聞いた人を通して広がり、ついにはアメリカ、福島、栃木、広島、鹿児島、ハワイにまで至った。今、著者がこれを書き進める理由もここに始まっている。幾春別川が全く予想もしなかった別の方向へ流れ出した、と言える。それこそ幾春別川になった。

 そしてまたここにもうひとつ偶然かも知れない地がある。空知集治監跡地から北東を眺めると小高い山が見える。標高144メートルの山でアイヌの人々の言葉では「タプ・コブ」と呼ばれていた。意味は「頂上の丸い山」である。明治14年空知集治監建設のために調査に訪れた渡辺惟精が「タップ」と呼び、「達布」という漢字を当てた。この達布山には榎本武揚、山県有朋、山田顕義、黒田清隆ら要人が登り、石狩低地を眺め、やがて建設される札幌の町を想像した。幾春別川も遠望出来る。彼らは果たしてどんな将来を見極めようとしたのであろうか、幾春別川は彼らの見た方向に流れ、やがて石狩川に合流する。
 達布山の展望台に立つと風が音を立てて吹いてくる。四方をぐるりと見回せる。まだ空の上から地を眺めることは出来なかった時代である。その展望に心を弾ませたであろう。彼らの思いを知ることもまた大切である。

 アイヌ語で呼ばれていた時代に戻ってみると、土地の地形や土の状態、水の流れの方向、そしてどんな動物がどのように棲息していたのかわかる。今は漢字表記になった地名であるが、もう一度カタカナにしてアイヌの人々の呼び方にもどすことは出来ないのだろうか、それが無理でも土地の呼び方、故事など教育の中に取り入れることは出来るのでは。もしかしたら、アイヌの人々の言葉や音の中に日本人の知らない日本の昔を知る手がかりがあるかもしれない。いや、最近の研究ではアイヌのDNAが北アメリカやシベリヤにもある、と聞いている。もしかしたら、日本人の私たちは世界の歴史、人類の歴史を紐解く大切なワードをどんどん捨てているのかもしれない。しかし、アイヌの言葉と漢字を知ることで、世界のルーツの音や声に耳を傾けることができるかもしれない。彼女に原利八の祈りが届いたように、古代の人々の祈りが聞こえてこないとも限らない。

 人間は自分たちだけの歴史でなく、地球の歴史、もっと広く、また高く宇宙の歴史から今を考え始める時である。そうなれば世界はどう変わるであろうか。夢のような話であるが、Impossible dreamを語れるのは人間だけである。その人間が偏狭で頑な見方、考えで凝り固まっているとしたら、それは悲しい。

   同士らは君を偲びて碑を建てる君の名前は乙女を射抜く
   傍らの小さき墓に花手向け見れは同郷島津の名前
   雪の日に炭住訪ねふと見れば千人塚公園真白き道に
   ELT三笠の市(まち)に一人住む原の思いは国境越えて
   繋がりはどこまで延びるこの点を結べば聞ける新たな話
   

 


 


 


自作短歌を通してAIの機能アップに貢献したいです。よろしければサポートお願いします。AIの自動言語学習はAI全体に対しても極めて大切な機能です。人間の知能と人工知能がコラボして傑作が生まれたら、と願っています。