人生相談

 昔から、人の相談に乗ることが多い。例えば思春期の頃には、大した経験など無いにも関わらず、恋愛相談を持ちかけられていた。それは社会に出てからも変わらなかった。恋愛だけではなく、仕事の悩みなども聞くようになった。 
 なぜ、皆は私などに相談を持ちかけてくるのか? 
 その理由について、私は見当が付いていた。それは、よく話を聞くからである。相談というと、何か的確な答えを提示しなければならいように思われがちだ。だが案外、答えはその人自身がすでに見いだしていることが多い。だから、ただ相手の話に耳を傾け、最後に「大丈夫。きっとうまくいくよ」というだけで大概の相談事は解消される。つまり、こちらが導く必要はないのだ。背中を押してあげるだけでいいのである。 
 私はこの能力を活かすべく“人生相談室”のような仕事へと転職をした。そこで学んだカウンセリングの基本の中には、傾聴や受容と共感といったものがあり、それはまさに、それまで私自身が培ってきた能力であった。 
 仕事は決して楽ではなかった。それまでの相談事とは違い、非常に現実的で、中には身を切られる思いがするものまであった。しかし、それでも半数近くは、傾聴や受容と共感、そして「大丈夫ですよ」の一言で解消できるのである。 
 ところで、そんな私にも悩み事はある。三十路を過ぎれば、現実的な悩みのひとつやふたつ持っていて当たり前であろう。しかし、最大の悩みは実に根が深く、思春期の頃から抱えてきたものでもある。それは、私には自分自身の悩みを相談できる相手がいないということである。 
 試しに、何人かの友人に悩みを打ち明けたことがある。結果は、ひどいものであった。誰もが私の話を半分も聞いてくれない。矢継ぎ早に自分の感情論だけで意見を述べてくる。そこには傾聴も受容も共感も、そして「大丈夫」の一言さえない。 
 さらには、現在の職場の上司に相談したこともある。しかし彼からは、相談の内容によって開くマニュアルのページをめくる音がペラペラと聞こえただけであった。 
 どうやらこの地上には、私の相談に乗ってくれる相手はいないらしい。そうして私は、遥か大空にその相談相手を見つける。“彼ら”は何も語らない。私が何も話さなくても、すべて伝わる。そして最後に、その大きくつぶらな瞳で「大丈夫ダヨ」と脳に直接伝えてくれるのだ。
 ああ、やっと巡り会えた。“彼ら”こそ私にとって、理想の相談相手なのだ。


【了】

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