女 神
噂を聞いたのは、バイト先の惣菜屋であった。
「その洞窟の奥には女神がいて、望みをなんでも叶えてくれる」
俺は大学を卒業後、一般企業に勤めるものの、すぐに辞めてしまっていた。とりあえず親戚の紹介もあり、仕方なく惣菜屋でバイトをしていたのだ。
とにかく、将来とか人生とか、そういったものを深く考えることができずに、ただ消化するだけの毎日が続いていた。
その噂も、普段の俺ならきっと興味を示す類のものではない。なぜなら、俺は神仏など信じないし、ましてや叶えたい望みなどないからだ。
ところが、その時ばかりは、何故だか無性にその女神に会ってみたくなったのだ。俺はさっそく近くの宿を取り、その洞窟へと向かった。
その日に泊まる宿は、一軒家を改築したような造りで、旅館というよりは民宿に近く、お世辞にも立派とは言えなかった。
しかし、部屋からは港街が一望でき、なんといっても、女将のもてなしには感心させられるものがあった。
女将は言った。「女神さまもお待ちかねですよ」と。
「え?」とっさに聞き直したが、「どうかされましたか?」と、逆に不思議そうな顔をされた。
「いや、なんでもありません」
いまのは、何だったんだろう……?
食事は海の幸がふんだんに使われており、俺の舌鼓も抜けのいい音を鳴らしていた。食事の後は風呂。既に二度入っているにも関わらず、開放感からか、どうやら少しはしゃぎ気味になっていたのだ。先程から時間はゆったりと流れている。俺はその流れに、身を任せることにした。
浴室は大変こじんまりとしており、浴槽内は大人二人が限度という小ささであった。しかし、やはりそこからも港街が一望でき、ひとりで入った私には、過分に贅沢だとさえ思えた。
風呂から上がった後、まだ早い気もしたが、敷かれたばかりの布団に潜り込み、眠りに就くことにした。とうとう明日は、女神に会えるのだ。
翌朝は生憎の天気であった。しかし、どうせ洞窟の中に入るのだ。天気など問題ではない。
その洞窟は、山の頂上付近に入口があった。心地よい不安感と、危うい恍惚感を抱きながら、俺はその洞穴を進んで行く。深く、深く、降りた先に女神はいた。
「待っていましたよ」
口元に微笑を浮かべて、彼女は静かにそう言った。
俺はそれから、その洞窟で“門番”として働くことにした。一日8時間以上、休憩のときすらも俺は女神の傍を離れなかった。女神の間の前で、観光客たちに目を光らせるのだ。
地下に閉じ込められていた人々が、ようやく地上に出てこられたというニュースが流れる中、周りからは不思議そうな顔をされた。
しかし、俺は満足していた。なぜなら 望みが叶えられたからだ。そう、ようやく見つけたのだ。俺の仕事を。そして、俺の存在理由を……。
【了】
イラスト:ちぃ (note.mu/selkie)
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