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おふろブログ🛁

とっても久しぶりに投稿する。

書く事が性ではないので、こういうことになる。

最近考えているのは、
ひとつは、「長い年数をかけて続ける」ことと、「ひと通り知って次に行く」こと、どちらが自分に合っているのか、ということだ。
もうひとつは、「長い年数をかけて続ける」ことと、「ひと通り知って次に行く」ことの社会的な評価の良し悪しはイコールではないのは何故かということ。

私は、レギュラーでやる事(仕事や食生活)は、冒険したいと思いつつ、あまりしない。
冒険経験の少なさにより、「冒険したい」が性格的な欲望なのか、そういうものへの憧れなのか、わからない。
ちなみに、そこが「わからない」時点で憧れである可能性はすごく高い。
ちゃんと認めるのはもう少し時間がかかるけど。

逆に、レギュラーではない事(遊び場や洋服選びや音楽)は冒険したい欲はない。確実にポジティブな気持ちになりたいからだ。多分、私的な勝ちパターンがある。

なんか、書きたい話が逸れてきた。やばい。

転職を考えているので、自分のキャリアを見直す。
とてもとても見栄えなくて悲しかった。
毎日頑張ってやってきたはずなのに、
たくさん考えてやってきたはずなのに、
あまりに見栄えない。
でも、以前の自分に何かプラスでやる余裕はなかった。サボっていたわけではない。

と、いうか、社会の評価の物差しを当てられると、
見栄えないのだ。
今日までの日々、今の私に誇りがある。
「見栄えないです。」と言われて悲しい。
甘えなのかもしれない。わからない。

仕事も、生活も、レギュラーでやることは、「長い年月かけて続ける」ことの方が評価されると感じる。厳しい…。

私はトライ&エラーを繰り返していくタイプだと思う。
続けられるストレッチ方法も、
一人暮らしの野菜の購入量も、
似合う洋服選びも、
頑張りすぎない方法も、
悲しい寂しい夜の過ごし方も、
他者に合わせ過ぎない方法も、
少しずつ積んで、崩れて、考えて、積んで…

仕事選びももっとトライ&エラーできたらいいのに。
やってみなきゃわからない事なんて、
本当はたくさんあるのに。
「自分」への理解なんて、
年月と共に変わったり、新事実がわかったりするのに。

このモヤモヤはまだ総論にはできないけれど、
生きにくい。辛さというより、不便だ。

人生の道はまっすぐな一本道ではないのに。

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