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傑作と傑作

ビチクソ感想文2本。

映画「クライ・マッチョ」
やっぱりSNSはよくないと思った。大感動していたのにツイッターを眺めていたら「おもんない」みたいな感想がチラホラあって腹が立った。せっかくの気分が台なしだ。PCのまえで一人で悔しがってバカみたいだ。
かわいそうに、君たちには早すぎたのだろう、わたしはわたしの満足を胸にかき抱いて、これからも手放すつもりはないからな。…
画面を見つめながらぶつぶつと部屋の空気を震わせながら、だれに言っているのか、なにをひとり相撲しているのか、まったくわからない。わたしのほうがかわいそうだ。インターネットを巡回していると、ひとり相撲がどんどん上手になってしまう。これでいいのか。これでいいのだ。しらんけど。
さておき。
クライ・マッチョ、最高だった。二日酔いのせいか、情緒を完全に持っていかれた。映画がはじまって終わるまでずっと幸福な夢を見ているようだった。涙が目に染みて痛かった。急に涙ぐむと、よくそうなる。

愛すべき○○という言い方がある。じぶんではあまり使わないと思っていたが、クライ・マッチョにこそ使いたいと思った。「わたしの愛すべき映画はクライ・マッチョだ」と今後公言していきたい。この使い方であっているのか、わからないが。

時代は70年代末。クリント・イーストウッド演じるマイクは、かつてロデオ選手だったが事故で引退して以降、自暴自棄になってしまった。仕事も家族も失ったが、拾ってくれる人もいた。彼は何とか調教師の職を得ることができた。マイクにとって命の恩人だ。
ある日、老齢になった彼のもと恩人が訪ねてくる。特別な仕事を依頼したいという。メキシコにいる息子を連れて帰ってほしいのだそうだ。乗り気ではなかったが、さんざん罵しられたあげく了承し、マイクはメキシコに出向くことになる。
映画は、マイクが恩人の息子ラフォといっしょにメキシコからアメリカ国境をめざすロードムービーになっている。ラフォは親の愛に恵まれず他人を信用できなくなった子どもで唯一信頼しているのは闘鶏用に育てたニワトリ。その名は「マッチョ」。マイクはラフォに同情する。歳を取りすべてが手遅れになったと思う彼だからこそ、やさしさとはなにかが身にしみて分かっている。おまけに馬を世話してきたカウボーイの性分か、彼はあらゆる動物にモテモテでもある。ラフォはやがて彼を信頼するようになる。父と母のあいだで引き裂かれ、利用され、それでも自分の人生を切り開こうと必死に国境をめざすラフォ。そして、すべてが手遅れといいながら人助けをまっとうしようとするマイク。はたして、二人に待ち受ける結末とは。…
思い出しただけで泣けてきた。映画の後味はとてもよかったとだけ言い添えておく。

いとおしさの核心はやはりクリント・イーストウッド御大の存在だろう。まず90歳の映画監督主演作という点で愛すべきだ。そして、映画内のクリント・イーストウッドはとても愛おしい。語りだしたらきりがないくらいに。
ひとつだけ紹介する。賛否が分かれるところかもしれないが、映画のリアリティとはなにかを考えたとき、今回のクリント・イーストウッドのアクションシーンのいくつかはあきらかに作り物めいている。だがそこがとてもよかった。愛しさがあふれてきて、フィクションだろうが作り物だろうが、どうでもいいと思えた。なぜか。ここにわたしたちの見たい夢があると思えたからだ。映画に大切なことはそれだけじゃないだろうか。むしろ映画的な詐術が使われているからこそ、ここにわたしたちの見たい世界があるのだと信じることができた。
マッチョを捕まえようとするマイクに手持ちカメラがぐっと寄って手元や足元をグラグラ映すと、いつのまにか捕まえてしまっている。軌道のよく見えない一発のパンチでチンピラをのしてしまう。あばれ馬をのりこなして、あっというまに静めてしまう。思い出すとクスっとしてしまうけれど、なんて愛おしいんだろうか。ただのリアルさなんて凡庸だ。なにを描きたいかが重要なのだ。クリント・イーストウッドが(あるいは90歳のアメリカ人男性)が冒険の旅に出かけ、ふさわしい終着点にたどり着く姿こそ、わたしたちの見たかった夢であり、明日への希望なのだ。
これまでもクリント・イーストウッド監督作を見てきたけれど、わたしは一番好きです。愛してます。運び屋も好きです。


映画「スティルウォーター」
傑作。なにもいいたくない。愛すべきとかじゃない。ふつうに大傑作。ひたすら映画の世界を堪能した。舞台となるマルセイユの風景がすばらしい。猥雑さと熱気に圧倒される。異国情緒たっぷりだ。マルセイユはアラブ系移民が多く住むという。知らなかった。治安は悪そうだが、なんとも妖しげな魅力を放っている。町の色気とはなにか。そんなことを考えてしまう。
主人公ビルと仲良くなる小さな女の子マヤは、そんな地元マルセイユのサッカーチーム(オリンピック・マルセイユ通称OM)の大ファンで、ビルにたいしてOMメンバーの偉大さをまくしたてる。なんともカワイイ。彼女が尊敬してやまないメンバーはたくさんいるが、その一人がなんと「Sakai」。サッカー好きならご存知、酒井宏樹選手である。
映画を見終わって、ネットの感想をのぞきにいったときに、いちばんほっこりしたのが酒井選手のツイートだった。自分の名前が出てきたことに感激して「Merci, Maya」とつぶやいていた。映画の世界と現実の世界が交錯する。映画を見終わったはずなのに、まだ続いているような幸せな気持ちになった。マヤちゃん、きっとうれしいだろうなぁ。

だが物語はまったくほっこりではない。だからこそ、Sakaiの感想にほっこりしたのだが。

あらすじはこうだ。マットディモン演じる主人公ビルはアメリカのオクラホマ州に住んでいる。かつて油田掘削の現場で働く労働者だったが、現在は建設現場を転々としている。そして定期的にフランスのマルセイユの刑務所を訪れ、ひとり娘のアリソンと面会している。彼女はマルセイユに留学中、友人女性を殺害した容疑で逮捕され刑務所に収容されていた。刑期は10年ほど。もう5年も収監されている。面会室でアリソンは訴える。わたしは無実だと。父親であるビルは娘の無実を晴らすべくマルセイユに留まり、言葉もわからず探偵まがいのことをし始める。ひょんなことから出会った地元住民の家族(そこにマヤちゃんがいる)とともに、なんとか真犯人につながりそうな情報を得るが、ビルの偏狭さや頑なさが事態を悪化させてしまう。…

すべての登場人物が忘れがたい印象を残す。なかでも、やはりビルとアリソンは特別だ(あとマヤちゃんも)。それぞれ別々の理由といきさつでマルセイユという異国の環境に身を置くことになった親子。言葉の通じない異文化の環境に飛び込めば、とうぜん危険な目にあうこともある。でもだからこそ人の親切や愛情が身にしみる。人生があやしく輝き出す。今までの人生は何だったのか、ふり返る暇もないほどに。

最後のシーンは胸に迫った。映画館を出たあとも、マルセイユのざわめきが頭から離れない。

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