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Man Ray

今日は「マン・レイと女性たち」も観てきました。

マン・レイさんはアメリカの芸術家で多数のオブジェ、絵、ポートレートなどの作品を世に送り出していたのだそう。マン・レイさんのことを存じ上げなかったのですが、とあるインスタで話題となっていて、興味を持ったのがきっかけで観に行ってきました。

芸術家なのですが、ポートレート、女性をモチーフとした作品が特に高い評価を得ていて、商業ベースの仕事を好まれなかったことからある時期より仕事での撮影はされなくなったようです。

とはいえ、仲良くしていた仲間たちなどから頼まれると断れなかったり(優しい人だったのかと)、ご自身が美しいと感じたことや衝動には素直だったのか、「もう撮らない」と言いつつ結構撮られていたみたいです。きっと「スキ」には抗えなかったのですね(笑)。

さて、作品を色々と拝見してきたのですが、展示している作品で私が好きな作品は恋人たちをモチーフにした写真が心に残りました。撮影されていたモデルさんとマン・レイさんの心が通じ合っていて「心の赴くまま」撮られたものだったり、元々美しい方たちの「さらに美しい、まさにミューズ」のような一瞬を切り取ったものだったり、日常の「楽しい、幸せ!」の一瞬を想い出として撮られたものだったり、観ていて何とも心地よく感じられました。

私、マン・レイさんのことよく存じ上げず、「たくさんの恋人たちを写真で撮っていた人」という断片的な情報から、きっと芸術家によくある(偏見!)浮気性のひとなんだな、っと思い込んでいたのですが、展示場へ据え置きされたパネル紹介によりますと、お付き合いしている間は相手の女性に対して大変誠実な方で、よくある男性の「裏でこっそり」みたいなことは一切、無縁の方でした…。ウタガッテゴメンナサイ。

どうしてこんなに観ていてモデルの方々がリラックスした状態なのか、楽しいや幸せ、美しい、かっこいい、が撮れるのかな?っと思ったのですが、きっと相手に対する尊敬、尊び、そして大切に想っているからこそなのだと、作品から感じました。

仲良しさんから教えてもらった、
「自分のこの上ない幸せな毎日や人生に登場してくれたものたち」
って、こういうこと!…って、よく理解できました。

少し前に読んでいたミヒャエル・エンデ「モモ」でこのような一節があったことを思い出します。

小さなモモにできたこと、それはほかでもありません、あいての話を聞くことでした。なあんだ、そんなこと、とみなさんは言うでしょうね。話を聞くなんて、だれにだってできるじゃないかって。でもそれはまちがいです。ほんとうに聞くことのできる人は、めったにいないものです。そしてこのてんでモモは、それこそほかにはれいのないすばらしい才能をもっていたのです。

マン・レイさんはきっと、このすばらしい才能をもっていたのでしょうね。

最近「優劣」「マウンティング」「序列」などなど、聞いていて悲しくなること、激しい憤りを感じることなど、見たり聞いたりするニュースが多かったように思います。

マン・レイさんの展覧会は何だか心が晴れやかに、清々しく、そして優しい気持ちとなる「種」をいただいたような、そんな展示会でした。


他者に対する尊敬、尊び、そして大切に想いあう、そんな風に世の中のみんながなれるといいのになー。

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