肺気胸完治から3年、飛行機に乗るまで



Xデー

僕は2021年1月末に肺気胸を発症した。
当時めちゃくちゃ仕事が忙しく、リモートワークで業務をこなしていたところ、お昼過ぎくらいに嫌いな顧客から電話が掛かってきた。電話自体も大嫌いな僕は、ためらいながらも社用携帯に手を伸ばしたその瞬間、背中に激痛が走った。アイスピックで背後から刺されたかのような痛みに声も出せないでいたが、囁き声で電話を乗り切り、横になったが痛みは治らない。慢性的に肩や首や背中の凝りが酷いということもあって、マッサージやストレッチをしてみたがズキズキした痛みは取れなかった。しばらくすると乾いた咳が出始め、何かおかしいと思い始めた。夕食をとって早めに寝ようとするが、咳が止まらないし、体の右側を下にすると肺に激痛が走って眠れない。これはもしかしてコロナか?それとも…。

肺気胸の存在はニュースなどで知っていたため、脳内の選択肢にその病名は浮かんでいた。とはいえもうすでに深夜だし明朝になったら病院に行こうと考えていたのだが、時間が経つにつれてどんどん息苦しさは増していき、50m走った後のように肩で息をする状態になってしまった。爪は紫色に変色し、明らかに酸欠状態で、このまま行くと意識が無くなるかもしれないと危惧し、止むを得ず救急車を呼んだ。当時はコロナ禍真っ只中で、救急車は早々に到着したものの、受け入れ先の病院が全く決まらない。30分〜1時間ほどしたところで、運良く搬送先が確定して救急車は発進した。

病院に到着するとコロナの検査で綿棒を鼻に突っ込まれた。若手の先生か研修医かわからないが、ゆっくり痛くないように綿棒を鼻の中で回してくれた彼はきっと素晴らしい先生になるだろう。
検査結果を待っている間にCTを撮った。それを救急科の医師たちがみんなで見た瞬間、ざわめきが起こった。後で写真を見せてもらったが、右側の肺がペシャンコになっており、握り拳くらいの大きさしか無かったのだ。

「これからすぐに手術になります」と石丸幹二似の救急医は言った。
「そしてそのまま入院になりますが、よろしいですね?」
「もちろんです」と僕は食い気味に答えた。これで合法的に仕事から離れられると安堵していたのだ。後々、HBOの傑作ドラマ「ユーフォリア」を見た時に、主人公のルーが似たような感情を抱くシーンがあり、当時の精神状態はあまり良く無かったなと追憶するのだった。

会話を終えると、手術でドレーンと呼ばれる管を肋骨の間から挿入し、胸腔内に溜まった空気を体外に排出することで事なきを得たのであった。術後1週間ほど入院し、完治したことを確認して無事退院した。

突然決定した海外出張

「海外出張、行く気ある?」と何の前触れも無く、上司から話しかけられた。その口調に引っ掛かるものはあるが、僕は特に深く考えずに「行きます」と回答した。それから航空券の手配やホテルの予約など、あれよあれよと話は進んでいった。

僕は肺気胸を患ってから、一度も飛行機に乗っていなかった。退院時に医師から飛行機もダイビングも問題ないとは言われていたが、万が一肺気胸が発症した状態で飛行機に乗ると、気圧の関係で一気に悪化する危険があるため、何となく避けていたのだ。

出発するまでのカオスな日々

漠然とした不安は日に日に高まっていった。普通に生活していても息苦しさを感じることが増えた。何と無く背中も痛い。おまけに散歩していて路上に鳩の死体があるのを2回も目撃した。そんなこと普通あるか?

仕方がないので病院に行き、検査してもらったところ、肺に虚脱はなかった。恐らく息苦しさは慢性的なストレスと異常な肩こりによるものだろうし、おおかた気持ちの問題なのだろう。この時診察してくれた先生も親切で、飛行機に乗ることで肺気胸が再発することは無いから、余り気にしすぎなくて良いとアドバイスしてくれた。(そう、僕は全てを気にしすぎる人間なのだ)

そうは言っても、気にはなる。新作映画やドラマの公開日が流れてきて、それが飛行機に乗る日よりも後の場合、「もしかして見れないかも?」などと何故か思うのだった。自分の死期を悟ったかのような、ざわめきと諦念が同居したような奇妙な感覚すらあった。(そう、僕は大袈裟な人間なのだ)

そして迎えた当日

ここまで来るともうどうにでもなれという気持ちになっていた。万が一具合が悪くなってもなるようになる。このタイミングでは自覚していたが、肺気胸の体験は僕にとってある種のトラウマと化していた。このタイミングで乗り越えるべき問題だと捉えた。

空港で先輩と合流し、ラウンジで仕事をしながら穏やかな時間を過ごした。そのおかげか気持ちは落ち着いている。いざ飛行機に搭乗し、その時を静かに待つ。エンジンが掛かり、轟音が鳴り響く。音が大きくなるにつれて、心拍数が上がっていくのがわかる。やがて機体は地面を離れ、ぐんぐん高度を上げていく。手に汗が滲む。肺に少し痛みが走ったが、何とか僕はやり過ごすことができた。

10時間ほどのフライトが終わりに近付き、窓から見える無数の車、そしてSoFiスタジアム…外にロサンゼルスの景色が見えた瞬間、心から安堵した。仕事的にはこれから怒涛のスケジュールが待っているのは理解していたが、小さくも確かな達成感を得たのだった。

エピローグ

アメリカ内での移動もあった関係で、出張中に計4回飛行機に乗った。そして僕は無事に日本へ戻り、この記事を書いている。初めは真面目なトーンを目指していたのだが、少しふざけてしまった。とどのつまり、僕が言いたかったのは、適切な情報を元にすべき行動を判断せよということだ。肺気胸を患ったことがあれば、何かしら行動を制限したり、躊躇したりすることは少なからずあるだろう。インターネットで調べても一般論は見つかるが、それが各個人の状況に当てはまる訳ではない。きちんと病院で検査を受け、医師と相談して、行動を選択すべきだ。不確実な情報で一喜一憂しないように。
特に飛行機に不安のある人は、日本国内で短時間のフライトから始めるのも良いだろう。今回いきなりロングフライトに乗らなければいけなかったことも不安を掻き立てていた。

僕自身も出発前に色々とインターネットで情報を探し、似たような体験をされた方の文章を見つけて励まされた。この記事も、また別の誰かを少しでも勇気付けられれば本望だ。そしてその中の誰かが、同じような記事を書いてくれることを祈っている。


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