見出し画像

ポーランドが親日国になったのにはわけがある


ヨーロッパの中で一番日本に親しみを持っている国は何度も国家消滅の悲哀を味わっているポーランドである。人口は3,700万人、国土は日本の85%だけど、それでもEU加盟国の中では第6位の大きさである。

だから、日本とかJAPANとかを冠したホルホルYouTubeで、「ヨーロッパ人が日本みたいな小さな国とか貧しい国なんとかんとか」という嘘(正常な人なら言うわけがない)を綴っているYouTubeはギャップを利用して視聴率を稼ごうと言う悪質YouTuberなので、「チャンネルをおすすめに表示しない」をクリックして消した方がいい。

例えば、こういう事例です。経済破綻寸前の出生率0.72で消滅目前の韓国人がこういうことは言わないでしょう。GDPについては日本は4位、韓国は14位、国土面積でいえば、韓国は日本の4分の1。こういう関係はよほどのアホでない限り分かるはずなので、貧しい国日本とか小さな国日本などとは絶対に言わないと思いますが。

ポーランドのGDPは21位(ヨーロッパ全体では9位)だけど失業率5%という裕福な国であり、97%がポーランド人という珍しい国でもある。そして、国土のほとんどが平原(ポーランド語でポーレ)である。ポーレ→ポルスカ→ポーランドとこれが国名の語源になっている。

ポーランドでは毎年「日本祭り」が開催されているだけでなく、多数の大学に「日本語学科」が設けられており、しかも倍率30倍という超人気である。日本の会社も360社以上進出している。ここをEUに販売する拠点にしたいと思っているわけである。

立地的にはドイツ(プロイセン)とロシア、オーストリア(ハプスブルク家)に挟まれており、この3強によって、領土が無くなった、滅びた、消滅したという過酷な運命を紡いできた。

最初の危機はモンゴル軍の襲来である。

ポーランドはドイツとの連合で対抗したがワールシュタットの戦いで惨敗し、おびただしい数のポーランド兵が殺された。

出典:Wikipedia。

その後、立て直したが次にドイツ騎士団(後のプロイセン→ドイツ)に苦しめられた。ポーランドはリトアニアと連合してタンネンブルクの戦いで勝利し、全盛期を迎える。

出典:Wikipedia。

タンネンブルクの戦い。

そして、領土が3~4倍になりウクライナも吸収した。

この時はウクライナとロシアは同じ国(民族)だった。

ポーランド化(カトリック化)したのがウクライナで、しなかった(ギリシア正教のまま)のがロシアである。

つまり、この時、ウクライナとロシアは分化したことになる。

その後、ポーランドの圧政に苦しんだウクライナはロシアに助けを求め、ロシアはこれに応じてポーランドを撃破した。その結果、衰弱したポーランドはプロイセンとオーストリア、ロシアに分割されて消滅した。国土が全く無くなったのだ。

これを救ったのがフランスのナポレオンである。

彼はプロイセンを撃破してポーランドの奪われた国土を返還させた。ここに、ワルシャワ大公国が成立する。だから、ポーランドはフランスが好きである。

しかし、復活させてくれたナポレオンが敗北するとウィーン会議でワルシャワ大公国はポーランド王国になるが、ロシアの支配下に置かれる。

しかも、ロシアは社会主義国ソ連になり、同時にドイツにナチス政権が生まれると再び、ポーランドはドイツとソ連に分割されて消滅する。

やがて第二次世界大戦が始まり、ソ連がナチスを破るが、同時にポーランドも社会主義国家にさせられる。

しかし、ソ連でゴルバチョフが台頭し、「社会主義を止めてもいい」という宣言が出されたので、ポーランドは社会主義を放棄した。それでも、ロシアの支配はそのままで、数々の独立運動はことごとく潰された。

そのような時に起こったのが日露戦争であった。

ポーランド人はロシアに軍人として徴兵されていたのだが、ポーランドは「兵士は日本とは戦わせないようにしますから、同盟を結んでくれ」と提唱した。これは、さすがに日本に留保された。

その代わり、ポーランド兵の捕虜はロシア捕虜と分けられて愛媛の松山の収容所に送られて比較的自由な捕虜生活を送れるようになった。しかし、ロシアの支配は続いており、反抗した人たち(20万人)はシベリア送りになった。

彼らは飢餓に苦しんでおり、欧米に助けを求めたが拒否されたので、外交関係のない日本に救いを求めた。日本の外務省はわずか2週間余りで救援を承諾し、シベリア出兵をしていた日本陸軍がポーランドの孤児たちを助け、日本に連れ帰った。

そして、飢餓でガリガリになっていた孤児たちに食料を与えた。

シベリアのポーランド孤児たち。

服はボロボロで、かつ、瀕死の状態だった孤児たちは船で敦賀に移送され、その後、東京や大阪に送られた。

孤児たちは、新しい服やお菓子、暖かい食事を与えられて救われた。

捕虜になった軍人たちや飢餓から救われた765名(3年間で)の孤児たちが本国に帰って「日本でよくしてもらった」と言い続けたため、ポーランド人は「日本に絶対恩返しをする」と言った。

これが、ポーランドが親日国家になった理由である。

ポーランドに帰国する孤児たちを見送る日本人。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?