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この世では理論と理屈は弱い力

日本限定でいえば、どの年でも、およそ3割強の人があの世の存在を信じています。キリスト教国では、ほとんどの人が論理的にあの世とか霊の実在を信じています。聖書にそう書かれているからです。

但し、言語的、論理的にそう信じているだけで、実感を伴っていないから、いとも簡単に俗世の利益とあの世や霊を都合よく融合させてしまいます。その点、頭も口も実に重宝ちょうほうなものといえます。

従って、「心からあの世と霊の存在を信じているのか」といえば、微妙な問題になるだろうし、言動を見る限り、拝金主義志向の強い人が多いと感じられるので、純粋にあの世の実在を信じているようには思えません。

例えば、神に祈りを託しても、それは自身の現世利益のためにすぎないのであって、とくに、神を信じているわけでも、愛しているわけでもない。日本人が神社を訪れて、現世利益の願いを告げるのと同じです。

神を信じているのではなく、神を自分に都合の良いツールとみなしている、或いは利用しているだけにすぎない。あの世を重視していれば、この世は軽視となるはずなのに、そうはなっていない。

理論だけとか、学説だけとかでは、人は想像以上に変われないですからね。変われないから、スピリチュアルなどのよく似た書籍が雨後の竹の子の如く出て来るわけなのです。言葉や理論だけでは、何の役にも立たない。

実践なき超常の話は役に立たないのです。

例えば、「メンタル強化法」などは役に立つと思いますか?

本当に、メンタルは鍛えれば強くなるものなのでしょうか。格闘技をやっていれば、痛みに強いメンタルになれるかもしれませんが、必ずしも、メンタルが鍛えられているとは思えないほど、彼らもナイーブな悩みに苦しめられています。

もう一度いいますが、メンタルは、ほぼ強化されることはないと考えておいた方が無難です。「メンタルが強い」といわれている人は、強化的な特訓を受けた人というより、プレッシャーをかわせる何かを持っている人なのです。

例えば、他に熱中できるものを持っているために、依存性や執着性に乏しい人とか。そうであれば、熱中できる以外の事柄に対するプレッシャーは弱くなりますね。それにこだわる必要がないからです。

話は、このように単純なのです。メンタルは鍛えて強くはなれません。しかし、何かを捨てれば強くなれます。その何かが分かっていないとメンタルトレーニングをやっても徒労に終わることでしょう。

なぜ、人は理論で変われないのでしょうか。

それは、理論を受け付けるのは二番目の存在にすぎない「頭脳」だからです。データ処理しかできない頭脳を働かせて、何かを成し遂げることができないことは、「想像や想念だけでは何も生み出されない」ことからも明らかです。

例え、グッドアイデアが浮かんだとしても、それを実現させるためには、「1%の閃きと99%の努力」と言われているように、数多くのトライアル・アンド・エラーを繰り返さなければなりません。

考えているだけや知識だけでは、何も生み出されないのです。あえて言わなくても分かる常識なのですが、意外と平気で常識破りをしてしまうのも、ヒトの属性なのかもしれません。

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