爪毛川太さん作「うきげ節を歌いながら田川」のベタ褒め感想

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ご応募くださった上記作品のコメント欄にて、
「うきげ節を歌いながら田川」(以下「うきげ節」)は太宰治の「狂言の神」をモチーフにして書い作品、
と爪毛さんご本人がおっしゃっています。

つまり、本作をより深く理解するためには「狂言の神」を読むことが不可欠であり、

3000文字ルールのところ、
「狂言の神」分の約16000字追加で、 
実質2万字。

ルールの盲点をついてくる鋭い切り口が、
常人のそれではありません。

この時点で、
本気で取り組まなければ、刺される、と思いました。

姿勢を正し、身構えながら、
まず太宰治の「狂言の神」を読んだところ、
途方もない名作でした。

その文才を目の前にして、
自分の書く文章が恥ずかしくなったのですが、

たとえば、
太宰治は、恥ずかしい、のたった一言を、

含羞の火煙が、浅間山のそれのように突如、天をも焦こがさむ勢にて噴出し、

「狂言の神」

このように表現をする。
ぞっとするような名文の数々。

企画を通して、
恐るべき名作を紹介してくれた爪毛さんには感謝しかありません。






「うきげ節」を拝読し、
つげ義春の「ねじ式」を連想いたしました。

シュールとナンセンスな笑いが随所に散りばめられた極めて上質な不条理小説といった印象で、

不条理の象徴であるかのような、
エスカレーターが稼働し続ける吹き抜けの廃墟デパートは、
忘れられないインパクトがあります。

自分は爪毛ファンであり、
作品や記事をいつも読ませてもらっているのですが、

爪毛さんの作品の多くは、
いい意味で一筋縄ではいかない難解さを孕んでいます。

マルチクリエイターである爪毛さんは、
感性迸る四コマ作品もお書きになっており、
その自作解説において、

しかし、私の悪い癖なのだが、早々にはみ出したくなってしまう。

と語られています。

天才芸人の松ちゃんは浜ちゃんがいなければ理解されず売れなかった、
とよくいわれますが、

それと同じ感覚を、
爪毛さんの枠に囚われない作品に対して抱くことがあります。

その一方で、たとえば、

爪毛さん製作の名作ノベルゲーム。

このゲームに関しては、
構成が整っており、かつ、
キャラクターが立った、
基本に忠実なストーリーになっています。

つまり、
爪毛さんの場合、
創作術の基本を完璧にマスターした上での、
はみ出しっぷりなので、
その難解さに説得力があります。

「うきげ節」においても、
はみ出しっぷりが存分に発揮されていて、

何かわからないけど面白い、
そんなシーンで溢れていますので、
いくつか引用させていただきます。

主人公の田川司は、
チューハイを一杯飲んだあと、
日付が変わる前にどこかへ向かいます。

そうして田川はアパートから四駅離れた場所に建つ廃ビルに到着した。かつてショッピングモールであったこの建物は、放置されて十年以上。出入り口には常時警備員。しかし、噂によると千円を渡すと中に入れてくれるらしい。

田川が向かったのは10年以上放置された廃ビルですが、
なぜか警備員がいて、
しかも千円で中に入れる。

この時点でもう面白い。

その後、田川は廃ビルの中に入り、
なぜか稼働しているエスカレーターで、最上階を目指し、
途中、なぜか女と出会います。

「おもちゃ売り場は昔、お爺ちゃんと来たんだよね。おもちゃを買ってくれるまで動かいないって駄々をこねたっけ。でも、それはお爺さんと自分のお約束みたいなもんだった。子供だましの玩具など欲しくはなかったが爺さんが喜ぶと思ってそんな風に振る舞っていたに過ぎない。しかし、その時の店はこんな一等ではなかった。商店街の個人店に過ぎない。今はもうないだろう」と女。

何をいってるの?
と思わず突っ込んでしまう、
(後半部分の)ロジックを超越したセリフ回しには類い希なるセンスを感じます。

何度でも読み返したくなりますし、
何度読み返してもわかりませんが、

でもそれがいい。

女のともに最上階のバーについた田川は、
女からこういわれます。

「……注文したら?」

もしかしたら田川自身のセリフかもしれませんが、
これもロジックでは捉えることができない、
名セリフです。

「うきげ節」では、
こうしたシュールとナンセンスの極みが、
作品全体に漂っています。

また、
作品のモチーフとなった「狂言の神」を読んだあとに本作を読み返すと、
パロディ的な一面も浮き彫りになり、
さらに面白さを感じられます。

「狂言の神」では主人公は自殺するために街をさまよいますが、
「うきげ節」の主人公は、
何のために廃ビルに向かったのかが、
一切語られていません。

主人公の行動目的を伏せることで、
味わい深い不条理を生み出しています。

女は四階のエスカレーターの乗降口前にいた。西洋人のような顔立ちと染めた髪。だが言葉は流暢だった。女は田川司に付いてきた。

女のモデルは「狂言の神」に登場するナポレオンなのか、
そうわかるとニヤリとしました。

喫煙者だったらなと田川司は初めて思った。こんな時タバコでも吸えたら恰好が付いたのに。もしくはウィスキーのひと瓶でもあれば。

「うきげ節」にはシュールなガムのやりとりがあるのですが、
「狂言の神」のタバコを吹かすシーンを知っていると、
パロディ的な笑いが生まれます。

実は今は夜中でも何でもない。日中だ。しか
も、ここは廃ビルではなく目下営業中のデパート。田川司なんて男も存在しない。読者は「なぁんだ」と思うかもしれない。

「狂言の神」は、
(一般的な私小説とは異なる)メタ的な構成を取った小説であり、
主人公=太宰治なのですが、

だとすると、
田川司=爪毛さんなのか、
とそんな想像が膨らみます。

また、
ラストシーンの解釈は考えさせられます。

マネキンの前まで来た時、こいつのせいで、という苛立ちなのか愉快さなのかわからない感情がむくむくと湧き上がってきた。男はプロレス技のラリアットの要領で右手を突き出しマネキンの胸部に叩きつけた。人形はひっくり返りその勢いで落ちていった。

 少しして水の音。地下フロアに溜まった水に女が着水したのだ。男は少しだけ胸のすく思いがした。そして、水の音で喉がからからだということを思い出した。

ラリアットをかますシーンは笑えますが、
地下の水は何を意味しているのか。

本作はパロディ的な一面があるので、
太宰の入水自殺未遂への皮肉なのかな、
とも考えましたが、

考える、
という時点でちがうのかもしれません。

正直に打ち明けますと、
この記事を書いている今も、
本作のすべてを理解することはできません。

何度読み返しても、
ロジックでは紐解けない点が多く、
力づくで理解しようとすると、
これ以上深追いしてはならないと、
脳が危険信号を発する。

その意味で、
読んだものを狂わせる「ドグラマグラ」のような奇書ともいえますが、

下記記事の中に書かれているように、
もしかしたらそれこそが爪毛さんの狙いなのかもしれません。

この話含め、初期の創作動機は、読んだ人の頭をおかしくさせてやろうというものだったんですね。




冒頭にも書いたように、
爪毛さんはnote界屈指のマルチクリエーターであり、

小説、四コマ、ポエム、イラスト、動画、ノベルゲーム、YouTube、企画、Tシャツ物販、
お悩み相談、宗教活動、など、

幅広く活動されており、
その手広さには感嘆の念を抱きます。

最近はイケメンシリーズと題したイラストを投稿されていて、

爪毛さんが描き出すイケメン像

自分も何となくですが、
こういう顔が近くイケメンのスタンダードになるのではと予想しているので、

爪毛さんの審美眼には驚かされます。

「うきげ節」を筆頭に、
爪毛さんの作品の多くはジャンルを特定することが難しいと感じます。

常人は未知のものに出会うと、
不条理だのパロディだの、
カテゴライズし、
枠に収めたがりますが、
(今回、自分もそのような形で感想を書かせてもらいました)
本来、未知なるものは分類不可能です。

爪毛ファンのひとりとして、
爪毛さんには今後も未分類であり続けていただきたいと思います。


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