いまえだななこさん作「二人のまいご」のベタ褒め感想

※企画内容に関しましてはこちらをご確認ください






いまえださんのべた褒め企画に便乗してはじめた企画ですが、
ありがたいことに本家のいまえださんがご参加してくださいました。

まず、「二人のまいご」を読み終えて、
宮沢賢治の最高傑作「銀河鉄道の夜」を連想せずにはいられませんでした。

作中の葉月と燈子の儚く美しい友情は、
銀河鉄道の夜で描かれているジョヴァンニとカムパネルラの関係を彷彿とさせます。

共通点はほかにも、
両親の離婚問題に悩む葉月と家庭環境にあえぐジョヴァンニ。
山で遭難した燈子と川で溺れたカムパネルラ。
幻想的な花畑と幻想的な天の川。
あるいは、葉月の意地悪な兄はザネリのようです。

ストーリーの構図と人物配置を見わたしたとき、
銀河鉄道の夜に対するオマージュのような、
そうした意図が伝わってきました。

もしかしたらいまえださんは、
宮沢賢治にシンパシーを持っている方なのもしれない、

そんな考えを巡らせながら、
思い出したのが、
ショートショート企画「物語の欠片」にて、
いまえださんが出されたお題です。

お題の「足りない料理店」は、
宮沢賢治の「注文の多い料理店」からきているのは明らかでしょう。

そして、もう一つ。

いまえださんが自作について述べられている記事の中に、
以下のような記述があります。

書き始めた当初から
「いまえだななこらしさとは?」
という疑問を抱き続けています。

そんなもん、書き続けてりゃおのずと滲み出るもんじゃいとばかり、思いついたものを思うがままお出ししてきましたが、
なんとなく「これあんまり悩まずスルっと書けたな」っていうものの共通点を見出したのです。

それが、そう。童貞性です。

ご自身の作家性に童貞性を挙げられている。

童貞といえば宮沢賢治です。

さらには「青と緑と、おもいでの境界」の自作解説にて、
こんなことも書かれています。

舞台は架空のド田舎ですが、作中の方言は我らが大分弁です。

宮沢賢治は故郷岩手をモチーフに、
イーハトーブを生み出しましたが、

大分出身のいまえださんは、
オーイターブを生み出しています。

もしかしたら、いまえださんは、
文学史に燦然と輝く宮沢賢治の生まれ変わりでは?
にわかにそんな気がしてきました。

いまえださんと賢治

耳の形や髪の毛の流れ方に、
似ているものがあります。




本作「二人のまいご」は、
一見、ショートショートの形を取っているように思えますが、
ネタバレ注意を喚起する必要が一切なく、
「銀河鉄道の夜」のように、
結末がわかっていても何度でも味わえる、
サステナブルなストーリーになっています。

家族と山登りに出かけた少女葉月は、
美しい花畑に魅了されているうちに、
遭難してしまう。

葉月がひとりぼっちで途方に暮れていると、
同じ年頃の少女燈子が目の前に現れます。

燈子は実は幽霊なのですが、
どこか儚げで、幻想的な少女の姿が、
情感のある文章で描かれているから、
その予感がうまく伝わってきます。

主人公が幽霊と出会うストーリーは、
映画なら「月とキャベツ」など、
少なくはないと思うのですが、

「二人のまいご」は、
主人公が幽霊に救われ、
幽霊もまた主人公に救われる、
相互扶助の結末が示されている意味で、
出色の出来です。

二人が出会い、
食料を分け合ったり、
悩みを話したりしながら、
仲良く一緒に山の中を歩き回る展開を経て、

最終的には、
葉月は父親に見つけられて無事助かる、
一方で、
一緒にいたはずの燈子の姿はいつの間にか消えていた、
という結末を(いったん)迎えます。

明示こそされていませんが、
離婚の危機にある両親を仲直りさせたい、という動機で山登りをした葉月の思いに、
両親はきっと気づき、
葉月にとって明るい未来が待っているのではと思います。

そして、明るい未来を掴み取るプロセスにおいて、山での神秘的な体験があった。

それだけでもじゅうぶん感動できるストーリーなのですが、
この作品はそれだけでは終わりません。

この作品のすごいところは、
構成のうまさであり、

具体的には、
燈子はずっと昔に山で遭難したまま発見されていない少女の霊であり、
葉月が同じ山で遭難し救助されたことで、
結果、燈子の遺体も見つかり、
燈子もまた無事親のもとへと帰っていく、
という表裏一体の作りになっている点にあります。

したがいまして、
オチ(結末)の本質は、
実は燈子は幽霊だった、
では決してなく、

一人が救われると必然的にもう一人も救われる

であり、
だからこそ結末に納得でき、
より満足のいく読後感が味わえます。

構成のいいストーリーを好む自分は、
ややもすると、
ストーリー性のない小説に対して物足りなさを感じてしまうことがあるのですが、
この作品はそれをまったく感じさせません。

しかも、それでいて、
往々にして構成型ストーリーの欠点になりがちな情感の欠如もまったくなく、

小説的情感と脚本的構成が、
ものの見事に両立しています。

たぶん、いまえださんが演劇をやられていて、
脚本も書いたことがある点が、
関係しているのかと思います。

本作「二人のまいご」は、
豊かな情感をもちながら、
情感に溺れないだけの巧みな構成をもち、
それらが両立していることによって、
「銀河鉄道の夜」の中で「ほんとう幸い」を求めて旅をした少年たちのごとく、
親との絆を求めて彷徨った少女たちの姿が美しく照らし出され、
読んだものの心にいつまでも残る、
名作です。





冒頭で書いたいまえださん=宮沢賢治説が捨てきれないので、
いまえださんの全記事を"宮沢賢治"で検索をかけると、
一件だけヒットしました。

お子さんの成長をつづったエッセイであり、
宮沢賢治について何が書かれているのだろうと、
期待に胸を膨らませつつ読んだところ、

西に偏頭痛に見舞われた母あれば、
「ママ無理しなくていいからね」と言い、
東に友達からイジワルを言われて落ち込む姉あれば、
「次はぼくが守るからイジワルされたら言うんだよ」と言う。

あれ、私って宮沢賢治生んだっけ?

血が流れているのだな、と思いました。

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