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えりこ

もう一度探し出したぞ。
何を? 永遠を。
それは、太陽と番った
海だ。

アルチュールランボーの『永遠』の冒頭だ。

大きなちんちん、勝て。
毛、ぼーぼーのちんちんの上、
負けろ。

僕が20代の頃に書いた詩『勝ち負け』だ。



詩人になりたかった。

なれるものなら今でもなりたいと思っているが、なりたいものとなれるものとが必ずしもイコールではないところに人生の難しさがある。



生涯でただ一人の恋人えりこと出会ったのは20歳の夏だった。上述した『勝ち負け』を書いた直後のことだ。

彼女は自分より3歳年上だったと思う。

当時の僕は文学かぶれの若者で詩をはじめ色んなものに手を出していた。

特にテネシーウィリアムスの戯曲『ガラスの動物園』が好きだった。

今でこそ『ガラスの動物園』の天才性を理解できるが、当時は内容うんぬんより単に雰囲気だった。

"アメリカ戯曲の最高傑作"と呼ばれていることとか。作者であるテネシーウィリアムスの波乱に満ちた人生とか。

そういう作品の枠の外のところに惹かれた。

"文学ってかっこいいな"

そう思っていたから外で読書するときはカバーをかけずに剥き出しで読んだ。

トルストイにハマったときも。ラディゲにハマったときも。三島由紀夫のときも石原慎太郎のときも綿矢りさのときも。絶対にカバーはしなかった。
(唯一カバーをつけて読んだ本は水嶋ヒロの『KAGEROU』だけだ。)

えりこと出会ったのはバイト先の休憩中にプルーストの『失われた時を求めて』を剥き出しで読んでいる時だった。



若かりし頃、同級生たちが河原でBBQを楽しんでいる最中、何が悲しくて独り暗い部屋の中の小さな机の上でしこしこと筆を動かしていたのか。何が悲しくて血豆を作りながらアルチュールランボーの詩を何遍も何遍も模写していたのか。

詩人になりたかったからだ。

ランボー、ヴェルレーヌ、マラルメ、中原中也、萩原朔太郎、高村光太郎…彼らを超えられると思っていた。

大学の4年間一心に詩を書き続けた。

『青が散る』や『オレンジデイズ』のような甘酸っぱいキャンパスライフをかなぐり捨てて。卒業論文すら疎かにしてまで。

そして書き上げたのが冒頭の詩『勝ち負け』だ。

もう一度載せておく。

大きなちんちん、勝て。
毛、ぼーぼーのちんちんの上、
負けろ。

…残念ながら真剣だ。

言葉のリズムは評価してほしいところだが、とにかくランボーらを越えることはできなかったのは確かだった。



えりこは自分のことを「お姉ちゃん」と呼んでいた。

僕がバイトの作業で手こずっていると必ず彼女がやってきて、
「お姉ちゃんがやってあげる」
と代わりに慣れた手つきで作業を始める。

その横顔が『ハリーポッター』に出てくるハーマイオニーに似ていた。

僕は極端に内向的な人間だから人の心に踏み込むことは決してしない。
踏み込めば踏み込まれる。それに対する心構えがいつまで経ってもできなかった。だから、

"死んだ弟がいたのかな"
"それを僕と重ねているのかな”

そんな風に漠然と解釈していた。

僕はえりこのことを変わった人だなと思っていたが、変わっているのはお互い様だ。

だから、変わり者同士、二人の距離が近づくのに時間はいらなかった。

ある日、マクドナルドでえりこと食事をしていた時だ。思い切って『勝ち負け』の詩を書き綴ったノートをえりこに見せた。

彼女なら褒めてくれると信じていた。

が、彼女は詩を見ると一つ頷いたきり話題を変えた。

『勝ち負け』の一件以来、えりこは僕に対して露骨に冷たい態度を取るようになった。

訳がわからなかった。 

当時は詩を書くことがすなわち愛の証明だと考えていた。
カバーをつけずに本を読むことが知性だと考えていたように。

近く彼女の誕生日があった。

だから彼女の機嫌を直すべく彼女のために新たに詩を作ろうと決意した。

誕生日に詩を読み上げる。
何て美しく、何てロマンチックで、何て愛のある行為なのだろう。

えりこの誕生日の日、お互いのスケジュールが合わなかったために、仕方なく僕はメールで以下の詩をえりこへ送った。

『えりこ』

えりこを見つけた
えりこを手にとった
確かにえりこだ

ぼくはこのきもちでどこまでもいこう

my baby girl えりこ
my baby girl えりこ 

生涯で唯一、愛する人に送った詩だ。

このポエムを送った直後えりこは音信不通になった。

えりこに捨てられて15年。
呪われた日々を過ごす中で探し出す。

何を? 永遠を。
それは、暗闇で輝き続ける、
えりこだ。

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