【エッセイ#21】こころがさす方へ
昨日、私の大好きなnoterさんが、noteを引退された。
私はこの方の書く文章が大好きだった。
たくさんの笑いをいただいた。
時には温かい気持ちにさせられた。
また時には、エモすぎて涙を流すことさえあった。
こんな素敵な文章に
もう日常的に触れられないなんて
とてもさみしい思いだ。
が、ご本人が悩んで下した決断だ。
この方のファンとして
この方がこれから取り組まれることについて
(ほぼ無力だが)全力で背中を押したいと思っている。
料理家として独立してもうすぐ半年になる。
独立すると、上司や先輩から
「こうしなさい」と指示されることはない。
日々
「これであってるか?」
「もっとこうした方がいいのか?」
と自問自答を繰り返し
迷いながら進んでいる。
正解なんてどこにあるか分からない
暗中模索の日々だ。
そんな日々の中で、時々猛烈に悩む時がある
「どっちが正解だ?」
「どっちの道を選ぶと、より良い結果になる?」
と。
何時間なやんでも
「最高の」答えは出ない(そんな答えはない)と
知っているのに、それでも悩んでしまう時がある。
そんな時に思い出す言葉がある。
「こころざし」
という言葉だ。
「志のこと?」
と思われるかもしれないが
辞書的な意味の「志」と
私が言う「こころざし」は異なる。
「こころざし」に漢字をあてるなら、こうなる。
「心指し」。
「今あなたの心は何を指している?」
「何がしたい?どうしたい?」
「どこに向かって進みたい?」
そんな心の衝動のような感覚を
私は、とてもとても大切にしたいと思っている。
他者からの期待、抱える責任や自身の立場を
一旦わきに置いたとき
「わたしの心は今、どこを指すだろう」と考える。
素直な好奇心や野性的な感情に耳を傾ける。
すると、自分のやりたいことが見えてくる。
「いま本当にしたいことは、コレじゃない。
今はあっちに向かって進みたいんだ」と。
あとは、そのやりたいことをするために
必要な準備や関係者との調整を行う。
答えなんてないように思えた悩みは
タスクに変わる。
あとは、手と足を動かすだけだ。
一方で
ぜったいにしたくないと思うことがある。
それは
心が指していない方向に進んでいると理解しながら
その進行をとめようとしないことだ。
「こっちじゃない」と気付いたのなら
心が指す方向を見定めて、方向を変える準備をしたい。
それには時間も労力もかかる。
ひょっとすると恥やプライドが邪魔するかもしれない。
だが、本当に進むべき方向は他の誰でもない
あなたしか知り得ない。
これはあなたの物語だから
あなたがワクワクする、心躍る方向に進んでいい。
そのために自分の力を振り絞りたい。
脱サラを決意した時
そして日々正解のない中を走る今も
「こころざし」を大切に活動している。
これまでたくさん間違ってきただろう。
これからもたくさん間違うだろう。
けれど、反省はするが後悔はしない。
そう、生きていきたい。
大好きなnoterさんが去られたことを
心からさみしく思う。
だが、この方の心がきっと
もっとワクワクする方向を指したのだと
私は想像する。
きっとこれから、心躍る何かに
取り組んでいかれるのだと思う。
そんなことを想像すると
私もワクワクする。
あなたからいただいたワクワクを
料理家としての活動を通して
他の人に伝播させられるよう
取り組んでいこうと思う。
これから取り組まれることに
私がご協力できることがあれば
いつでもお気軽にご連絡いただけると嬉しい。
そして
このnoteというプラットフォームが
ほんのちょっぴりでも
より安心して過ごせる場所になるよう
誰かの批判ではなく
誰かを揶揄するのではなく
徒党を組んで誰かを貶めるのではなく
日々、美味しい記事と
温かいコメントを発信することで
楽しい場所にしていく
その一助になりたいと、心から願う。
今回のエッセイは、事情により全文無料公開とさせていただきました。
定期購読者の皆様にお詫びするとともに、いつも温かいご支援とご理解をいただいていることに、改めて感謝を申し上げます。
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