本当にホラーは小説と相性が悪いのか?

こんばんは。なんか日曜も終わり際に『ホラーは小説と相性が悪い』とかいうクソデカ主語の雑な創作論が自分のタイムラインに飛んできて、なんだそれはと火元を調べたら……
ああ、またこの人かぁ(ミュート済)

ミュートしてる人だからアンテナにひっかからなくて済んでたわけで、どうせもうとっくに総ツッコミを食らっているとは思うのですが、せっかくだから自分の脳内の考えを文章化するのに使ってみようと思いました。


お前は誰?

私はシナリライターです。蘇我真というペンネームで仕事をしています。
ホラーに関係するゲームで公開可能実績だと
『真流行り神3』のシナリオを一部お手伝いさせて頂きました。
ホラーは怖いから苦手です。怖いからこそ、こうなったら自分は嫌だなという要素を詰め込んでいけているかなと思っています。

ホラーと小説の相性が悪い根拠

https://twitter.com/kazakura_22/status/1746225169893618124

絵なら秒でわかるはずなんですよこれ。ただ文章だと、怖がるために頑張って想像する、というのをしなきゃいけない。

X(旧ツイッター)より

えぇと……文章なら秒で書ける描写を絵で表現するには
何日もかけてカロリーの高いイラストを描く必要があると思うんですけど、この人は多分そういう事を言いたいんじゃないはずなので
今回は割愛します。悪しからず。

絵と小説の特性が違う

まず考えたのは、絵なら秒でわかって小説だと頑張って想像する必要があるという主張について。
これホラーに限らずどのジャンルでも言えるのでは?
グルメは絵なら秒でわかるはずなのに、ただ文章だと美味しく感じる為に頑張って想像する。
恋愛モノはヒロインの魅力が絵なら秒でわかるはずなのに、ただ文章だと魅力を感じる為に頑張って想像する……。
なんにでも使える主張、万能調味料です。

まず、絵と小説のそれぞれの特性について考えてみましょう。

絵はパッと見てわかるのが魅力。瞬間力がウリ(もちろん何度も見返したくなる味わいもある)
小説は読んで自分の中に光景を広げたり、心の中で声を出して読むことで音のリズムを楽しんだり、後味を楽しむのが魅力。

それぞれの表現を理解するまで時間に差があると私は考えています。
なのでホラーだけに的を絞ってなんやかんや言うのはお門違いでは?

解像度を上げる方法

次、絵心がなくてぼやけるというのはどういうことだろう?
書き手として怪異を上手く文章で表現することができないという事か?
それとも読み手として上手く怪異を想像することができないという事?

どっちにしても、この辺りは書き手の技術で補う方法があります。
それは五感に訴えることです。
小説は文字だけでしか情報を伝えることができないと思われがちですが、
文章でも視覚や聴覚、嗅覚、味覚、触覚に訴えることができます。
音なら文章を読むリズム。短文を増やす。小刻みに。タッタッタッと。
(擬音って意味じゃないですよ)
こうすると小気味よく感じます。

例えばドアを開ける描写でも。すぐ開けるのではなく、勿体ぶる。
『ドアを開けた』を長くする。

手のひらに滲んだ汗、錆びた鉄の臭いがする鍵をそっと鍵穴に差し込む。
ウォード錠の歯が回転し、鈍く軋んだ音の中、カチリとひときわ高い解錠音が鳴る。ドアノブを握る。金属の冷気が指をちくちくと刺す。ゆっくりと右に回し、引いていく。生じた隙間から闇と冷気が漏れ出してくる――

こういう描写をするのがとーっても楽しい! ここ楽しいとこ!
これだとバイオハザードでいう扉を開けるローディング時間みたいなものを小説でも手軽に表現できます。
もしこういうタメの描写に頑張り、カロリーが必要ということなら、単純にそれは書き手の力不足なのかもしれません。

あと解像度を上げる方法としては固有名詞を覚えるというのもあります。
上の例ならウォード錠ですね。世の中だいたいのモノには名前があるので『中世(いつ?)に使われてたあの後ろに丸とか飾りがついてるクラシックな鍵』より『ウォード錠』としたほうがスッキリと短くなり、知っている人ならその形状をすぐ想像できるし、知らない人なら読み飛ばせます
この読み飛ばしは馬鹿にならなくて、下手に例えると想像しようと頑張りすぎてぼやけてしまう、知らないなら「とりあえず鍵だな」とだけわかる。辞書とかネット検索とかで知らない言葉を調べるのも読書の楽しみだと思いますし、ゲームならTIPSでフォローできますしね。

あとは想像しやすいように画面レイアウトを固定するなんてのもあります。
巨人を見上げるみたいな描写だと、もう自然とレイアウトがアオリに固定されますよね。ここらへんは映像脚本やると見につくんだろうなあ。私も勉強したい。

クトゥルフは文字だからこそ怖い

なんだか個々の例をあげて「●●の小説は怖いだろ!」というのも極稀な例外を取り上げる詭弁の一種な気もするのですが、クトゥルフは流石に大きいジャンルだと思うので……。
クトゥルフ神話の怪異は、そりゃあもう長い描写でいかに恐ろしいか形容するのが特徴です。翻訳も相まって冒涜的とかなんだかよくわかりません。
想像がぼやけます。ぼやけるからこそ、名状しがたきものとしての恐怖の輪郭がくっきりしてくる。
読む人それぞれの心の中にある「こうなってたら嫌だな」を育ててくれる。
これが絵になると「クトゥルーってこんなやつだよ」とイメージが固定される。すると怖さも固定される。慣れるとなんかゆるキャラみたいでかわいいなとなったりする。
(これは絵が小説に比べて下とかではなくて、文章の特性の話です)
想像の余地を残す小説が、ホラーとの相性は悪い訳では決してないという自分の根拠のひとつです。

んで、結局誰の言う事を信じりゃいいの?

多分今回の話以外でも、創作論っていうのは色んな人が色んな事を言っていると思います。
私も講師をしていたときに生徒にはこう言いました。
お話の作り方はいろいろある。できるかぎり色んな作り方を教えるから、その中で自分に合ったものを選んでほしい、と。
起承転結や序破急、三幕構成……みたいなパターンでそれぞれプロットを作ってもらって、それでそれぞれの手ごたえを感じてもらったのでした。
今回、明らかに主語がデカく雑な主張をした人の言う事でも活用できることはあるとは思います(個人の経験という偏見を元に断言することが多く、合わないタイプの人なのでミュートにしているのですが)、私の創作論も万人に対応できるものではないと思います。
確実に言えるのは、誰かひとりの言葉を鵜呑みにしてその通りにやって失敗してもその人は責任を取ってくれません。私もきっと取れません。講師業やってたときに生徒が失敗したらもちろん別ですけど……。

色んな人の意見をバランス良く取り入れて君だけの最強創作論を作ろう!
そして時々こうやってアウトプットすることで自分の考えを纏めたりしていくのがいいと思います。これが私のやり方。

ふースッキリした、明日もシナリオがんばるぞ!


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